第1273回 乱坊、幼子の如くあれかし

 [25日朝]娘らの喜びの悲鳴に目覚む。天寧3歳の烏龍君によるサンタ訪問は未だ効果を保つ。現にサンタを見たという思い出は10歳彼女をして未だその実在を疑わしめぬ。まつ梨、姉の言を聞きサンタ固く信ず。父、君らを見て、見えざれど日々感じるご臨在の妙を、ただ幼子の如く感謝忘れずあらんと想いを新たにす。

 [25日午前(前半)]全日勤。葬儀確認し田中君と二人今日の打ち合わせ。激しく言葉を交わすなかに飛び出した「エロチック艦隊」に10分笑いこける。勇ましく新婚生活をばく進する新郎・田中君に相応しいはなむけの言葉だ。右、記録する。

[25日午前(後半)]餅つき。「せっかく来たんやから撞いていき」1臼でフラフラになる。今、振興町会が槍玉に上がっているが、戦後、日本国家の連帯を恐れた米国が禁止解体した町会隣組制度。それを赤十字奉仕団という名目で先ず再興し、後に振興町会として復活させた苦難の歴史があることを忘れてはならない。実は住民主体の自治会組織に過ぎない。

 [25日昼]朝抜きで腹が減っていたのでげんこつラーメン大盛り。手早く食べて葬儀1件。(前項の続き) 不明朗な金の動きがあるのなら改めるべきだろうが、新興町会は地域コミュニティーの連帯を育む重要な組織であることも否めない。餅つき、地蔵盆、夜警、安パト、田舎出身の僕が舌を巻くほどだ。

 [25日午後]葬儀から戻り田中君同行。挨拶回り完了。帰所後、親方の新聞校正、終了後退出。寒い、めちゃくちゃ寒い。寒暖を激しく出入りしているが、風邪の一つもひかぬ、熱もでん。45歳にしてリアルなアホになれたか。年末最終まで、せめて半径5m以内の人を己の全存在をかけて少しく機嫌よくしてみる。

 [25日夜]親父、母、弟ら夫婦と僕の一家で、上本町ハイハイ天山閣にて一族の忘年会。グラスで行こ、と言ったのに親父「ボトルや」と。弟らはビールに夢中で親父も酒量減っとるがな。結局、一瓶の殆んどを僕が干す。厄年から三年のこの一年が人生最大酒量である。家で妻に叱られた以外、何の記憶もない。