第1239回 伊賀市出後自治会人権講演(出後会館) 

20日午前】(前略)夕べ帰ってソファーに倒れ込み、そのままの姿勢で朝を迎えた。よく寝た。睡眠は舞台の妙薬である。反対に、舞台は睡眠の妙薬とも言える。
【昼】お迎えの方に連れてもらい、伊賀上野の田楽座わかやで田楽定食をご馳走して頂く。飯1膳、おから1椀、日野菜の漬物1握、炊き合わせ1椀、田楽串。落語の「ん回し」に出てくる田楽は、これだ!初めて食った。旨かった。
【午後】伊賀市で人権講演。40名90分。事前に承諾を得て100分で。「今日から―」と落語(注:河豚)。今週の4舞台、お、重い!殊に人権はいつも重い。昔は重いことで魂がヘニャヘニャになってたが、鼓舞して語り切れるようになったは成長か、鈍化か?(中略)
【夜】夕刻、某演説会を助けに行くつもりなれど疲労困憊、筆頭に連絡し帰宅す。(中略)土産に若戎初絞り5合瓶を2本頂く。瓶に曰く「開封後は早く飲むべし」とあり。瓶命には逆らい難し。ひと瓶を完飲す。度数高く、流石は初絞りと唸る。美味芳醇。感謝し、楽しむ。

(『表現舎乱坊短信集成』11月20日の条から引用)
 
 ツイッターを昔はバカにしていた。140文字で何が書けるものかと。原稿用紙半分もないのだ。別に長けりゃいいってわけじゃないが、冗長を好む僕にはそげな文字数で書けるわけがなかった。
 また「バカ発見器」として名高いツイッターだ、様々に物議を醸す事件が起こるのを見てきた。不用意なことを書いて吊るし上げられたり、免職されたり、アホな奴が湧いて出るのを始終見ていたので、うかつなことを思わず指走る安易な表現媒体としてイメージが悪かった。
 しかし、実際に使ってみて大きく所感は変わる。食事と行動の単なるメモと捉え、一日を5つのフェイズで雑感を記すという形にした。すると実に便利、手軽に記述できるものであると知った。
 ブログは書こうと思うと、通番表示の面倒くささや、はてな記法、ある程度の分量など、制約が多くて、またそれなりの覚悟と主題、時間がいる。1200回以上続いているのだ。簡単にフォーマットを変えられん。その点、ツイッターは昼飯を食ったあと、手軽に便所などで書ける。これはいい。
 はじめは食事だけを書いていた。だが、だんだん書きたいことが増えてくる、でも140字制限がある。自然と文章は(未だ駄文に変わりはないが)削ぎ落とされ、簡潔に書かないといけないところに追い込まれる。簡単に制限を超えてしまうんだから。1字2字単位で文章を見直し、なんとか文意を通ずるようにして字数に合わす。なんだか楽しくなってきた。
 同様にFacebookも試してみたんだが、すでに字数制限がないと興奮できない身体になっていた。ミクシはもはや僕が使っていた頃のものとはシステムが変わりすぎて、なんだかわからなくなってる。だから、fb、mixiは転送するだけだ。
 字数制限、これは何かに似ているなあと思っていたら、そう、あれだ。落語のコンテストなどの時間制限。あれと同じなんだ。90分とか、60分、30分とか終演の時間を厳粛に設定されたおしゃべり。これに似ているんだ。だから興奮すんのかも知れない。
 今後は、ツイッターの記述「表現舎乱坊短信修正」を抜粋して、本ブログに転載するという形態も増えよう。が、これは決して手抜きではない。予め宣言しておく。