第1237回 東住吉区いきいき教室(南田辺連合会館)

【18日午前】(前略)午前勤。
【18日午後】昼抜き。東住吉区南田辺いきいき、入るとこ。天気悪いなあ。今日も入り悪そうだな。
【18日夜】(中略)休んでないと言いながら、夜には寝ることができる。この進歩は格段の進歩である。よく寝た。
(『表現舎乱坊短信集成』11月18日の条から抜粋)
 
「今日から―」、河豚。
 ここも対象者は少ない。自然と空気が重くなるが、ここは推進委員さんと仲良しなんで、なんかホッとする。
 
ま、生意気にも「重たい」などと書いたが、本質的に「重たい」舞台などない。
 確かに10人を割るとお客様お好みの最大公約数が計り難くなるように思う。また男性は女性に比して笑う切っ掛けが深く手が届き難いので、男性の比率が上がるとトリガーが引きにくく感じる。
 巨大な空間にお客様が少ないとき、お座り形態の横が縦に比して広いとき、お客様相互間の距離が離れている円卓形式などのときにも感じることが多い。しかし、これらは当日または出番までの主催者様との打ち合わせで回避できることが多く、無策で出番を迎えた己の責に帰する。
 マイクの電池切れ、指向性がナローに過ぎて声を拾ったり拾わなかったり箱の反響がひどいなど音響に問題があるとき、周辺の騒音やお客様の出入りが頻繁でお客様が集中しにくいときや荒れ狂う酒席のとき、などの対応が難しい物理的な要因で重く感じるときもある。
 しかし本当に問題なのは、それら物理的要因のせいにしようとする自分の精神、乱坊自身の心根である。
 必要なことは、ふりかえれば全て落語大学4年のカリキュラムに網羅されている。迷いなく喋り切る「不動」を養うことと、機に臨み「変」に応ずる機転を得ることである。この二者は、「不動」になるための不断の努力が「変」で応じられる機転を生むという関係にある。
 あとは与えられたお時間と場をなんとかしようと、お客様とガップリ四つに向き合いもがくこと、これに尽きる。
 全ては落語大学で習ったことだ。現役諸君は4年のカリキュラムを信じて歩め。解らなければ先輩に聞け。ドンドン上に聞きに行け。みんな知ってることをバンバン教えてくれるだろう、飯まで食わして。それをいとう者は一人もいない。逢いたい先輩がいたら僕が仲介してやろう。
 僕も、ぜひ同席したい。いやぁもう、全て忘れちゃって、今、思い出すのに必死なんだよ。