第1229回 池田サカエマチ商店街「笑店寄席」司会進行出演

 記憶に残る寄席がある。
 例えば、自分がダメダメだった寄席。文子(仮名)に「乱坊××××」をもらった寄席「蛇含草」などは、インパクトが強すぎて拭い去ろうとしても消えない記憶だ。
 反対に、自分がいい噺できた寄席も記憶に深い。寄席の大小はあまり関係ない。
 「くっしゃみ講釈」で見台をラストに破壊した日。最期のくしゃみと後藤一山の号泣のあのタイミングまで、壊れそうな見台を二の腕プルプル言わせながら形状保たせたあの日。滅多に感じたことはないが、あそこでバラバラにした俺は天才かと見まごうた(噺で勝負しろよ)。
 「くしゃみ」と言えば、みんなの力で客席一杯にしてくれた経商A301でびっしり立ち見の中やったあの日。四年間の最期にかけると一年の時から決めていた千里寄席「くしゃみ」。寄席はみんなの力でできていると痛感した。落語大学万歳。記憶の領域を大量に占有している。
 四十周年記念寄席の恐る恐るやった「河豚鍋」、大和郡山の寺での「はてなの茶碗」、砂九感謝祭トリとかぼす引退公演の「高津の富」。そして池田の社会人落語初代名人決定戦「蛇含草」。その日までの悶絶は当日僕をして昇化せしめた。結果は自分だけの内にあるが、他のすべての寄席と同じ様に後の自らに小さからざる影響を与えている。
 また自分の出番はないが、他の演者を見て感じ入った寄席も記憶の野原に散らばってる。
 すべては記せない。沢山あるが思い付くままに書く。僕が一年の特講での瑠畔兄「次の御用日」、僕の天神山の前を見事に決めた圓九君2年の「二人癖」、感心もし得心もした四十周年の茂八君の「景清」、帰ってきた笑鬼小父貴第1作目の榛原「鴻池の犬」、十巣小父貴の飛田百番における「禁酒関所」、伊賀の鞆田小体育館でのらいむ師「花筏」、風庵での来舞兄「舟弁慶」ややん愚兄「代書」。ああ、何もかもが懐かしい。
 そして、この日の笑店寄席も僕にとって忘れ得ぬものとなるだろう。
 番組を掲げておく。
 
 司会 表現舎乱坊
 芸夢君「初天神
 らいむ師「浮世床
 志留久師「親子茶屋」
 
 残る二人もさることながら、この日の志留久師「親子茶屋」は実に素晴らしかった。
 僕は、この方の噺を聞いたことはおろか、親しくお言葉を交わしたことがない。ほぼ初見である。近き方々から、芸達者の系譜の中でご尊名を伺ってきたのみであった。
 下座で聞いていて舌を巻く。一台詞のセンテンスだけでなく、ワード単位で完全に整理が行き届き、演出が細部まで決定されていて、表現に迷いがない。人物や感情も微塵も崩れることなく、気張らず声張らず心地好く聞ける。マイクを上げないと聞こえないんじゃないかとハラハラするが、何のことはない、お客様から噺にグイグイ引き込まれていらっしゃるように見受けられる。凄い。
 僕などは現下、粗悪な乱造品の続出で、荒れた場が多いので声後ろまで届けかしと汗だくで唸り、返しのパターンも亜と無師直伝の1024通りのうち4つくらいしか使っていない。
 落語大学の落語としてやっていたのは今、眼前で繰り広げられているこの光景ではなかったか。これを目指していたのではなかったか。どれだけ道を外れて遠いところまで来ちゃったんだ…。
 こう思うと、シルクさんの噺を聞きながら、両の目からボトボト出てきてせっかくのお化粧がまた無茶苦茶になってしもてからに…。
 思うに、僕ややん愚兄なんかは(兄「人のこと、ほっといてくれ」と挟む)舞台で、なんか変なお汁の飛沫を飛ばしてるような気がする。座布団なんか垂れたお汁でヌチャヌチャになってる。何か余分なものを分泌しているのだ。この汁は結構ねばいのでお客様との潤滑油がわりにもなるが、時折その汁で足元を取られて滑ったり転けたりする。そんな汁が出てるんだ、解るだろ。
 はねて打ち上げ。やん愚兄と「出てますやんか、汁!汁や、汁や、シルやんか」と激論していた。すると「汁」という単語を言う度に「シル」とか「シルやん」とか呼ばれてるシルクさんが返事するので大層話がややこしい。
 途中からは段々面白くなってきて、関係ない話でも「汁」を入れると返事してもらえることがわかった。「汁」であれば発音が「シル」でも「ジル」でも「ジュル」でもいいみたいだ。ということは「汁」という漢字に反応しておられる可能性がある。あの人は「汁久」さんではないのか。美しい名が一変に淫靡なものになる。
 機会があればみんなも色んな「汁」でやってみよう。