第1222回 両極端

 以前、北海道に飛行機で寄せてもらった。
 「この飛行機の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?」
 フライトアテンダントらが言う。映画やドラマでよく見るシーンだ。それが眼前で行われている。静かだった機内が一気に騒然となる。
 手分けして前方から順次聞いて回る。この状況を解りやすく説明すると、親族留め焼香を控え、葬儀屋が「ご焼香がお済みでないご親族のお方様はいらっしゃいませんか?」と聞いて回るあの雑然とした感じ、といえば解るか。客室は瞬時にざわつき出す。
 「この飛行機の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?」
 口々に問い回るフライトアテンダントたち。額にうっすら汗がにじんでいる。機内はもはや緊張の極みである。
 そのとき、だ。私の二列前からスッと手が挙がった。初老の紳士だ。客室全員の目が彼に集中する。駆け寄ったその列の担当嬢が口早やに言う。
 「お医者様ですか?」
 「はい、医師です」
 「こちらへっ!」
 嬢に先導されて、そのお医者様らしき人は前方へと消えて行った。
 その光景を見て、客室には安堵感が漂う。女性のグループ客などは「よかったわねー」とホッとした声が上がる。
 だが、ちょっと待て。まだお医者様らしき人が見つかっただけじゃないか。それどころか本当に彼は医者か?
 まさか、あの緊張の中、悶絶する患者の前まで来て「実はワシ医者ちゃいまんねん、石屋ですねん。先に墓石決めときまひょか」などとブラックな一休さんばりの地口で機内を激怒の頂点に誘なう勇気が、あの初老の紳士にあるとは思えぬ。着陸までに機内で撲られ果てるであろうことは想像に難くない。
 あの紳士、そんな人生をかけたイチビリをやるチョカチンにも思えん。サクッと手を挙げたところをみると、彼は少なくとも哺乳類以上の高等生物に医療行為を施す、獣医を含む医師と考えて妥当だ。あれは医者だ。医者で間違いない。
 ホッとして私は患者の治癒回復を念じる。そして唸る、あの医師の勇気に。
 考えてもみてくれ。この状況では、彼に患者の様子がさっぱり解らないではないか。
 患者は両目から鮮血をほとばしらせているかもしれない。にも関わらずこの医師の専門が肛門科であったらどうなるか。右手を切断して大ごとなっているのに、アトピー患者に神と慕われるステロイドレスな魔法の塗り薬を処方する皮膚科の大家かも知れぬではないか。
 いや、別に肛門科や皮膚科がいかんというのでない。専門ちゅうもんがあるだろって話だ。
例えば、不動産屋と一口に言うが、開発の許認可をやってる業者に、突然、JR美章園駅前の賃貸ワンルームの相場を聞いても詮ないのと同じで、両目からの鮮血を必死で止めねばならぬ肛門科の先生、千切れた右手を元に戻そうと躍起になるアトピーの専門医のご労苦は凄まじいはずだ。
 ただ不動産屋と違うのは、「そんなん着陸してからで宜しいがな」とのんびりしたことを言えない点だ。「お医者様」として患者の前に立った途端「何とかしなくちゃならない」立場になる。無論、期待を一身に背負い、責任も付随する。
 そんな状況にも関わらず、彼は手を挙げ宣言するのである、「医者です」と。ここに他の職業とは一線を画するノブレス・オブリージュを感じるではないか。相手がどんなだか解らない状況で、サッと右手を挙げた彼、彼こそは英雄である。
 
 話は変わる。未成年の皆さんは、この先ご遠慮願いたい。
 先日、事務所でご近所で起こった事件の話をしていた。誰かが下着泥棒の話をした。なんでも高齢者の下着が物干しから盗まれたという。それとは別に「いきいき」で雑談していた時、同じようにひとり暮らしの高齢者の家の物干しから下着を盗んだ奴が居るとも聞いた。
 たとえ下着とはいえ、窃盗するのは重大な刑法犯である。決して許すことはできない。
 だが、たとえ下着とはいえ、泥棒なんだから、ずいぶんと計画を立てて周到にやっているはずだ。でないと目的を達せず捕まる恐れすらある。
 しかし一体どんな計画なんだ? 70オーバーの下着専門てことか? どんだけナローな指向性してるんだ。何日も前からターゲットの高齢者をストークして標準を定めたのか? 全く理解出来ん!不可解だ。
 ひょっとかして本当は計画なんてないんじゃないのか。「なぜ下着を盗むのか?」との問いに、遠くを見つめながら「そこに下着があるから…」なんて登山家みたいなこと言うんじゃないだろうな。
 まさか、犯人は誰の下着を盗んでいるか知らないか。そ、そんな!悲劇である。
 私は唸る、その犯人の無計画さに。
 考えてもみてくれ。自分はうら若き女性の下着だと思っているのが、自分の母親以上の年の方の物だなんて知ったら、きっと奴は卒倒するに違いない。
 いや、別に高齢者のがいけないというのではない。専門ちゅうもんがあるだろって話だ。70オーバー専門があってもいいが、うら若き下着に当たるなんでこともある。これまた悲劇なわけで、そんな無闇矢鱈なリスキーな収集方法でいいのか。それがプロの仕事なのか!下着泥棒、一体何を考えている!
 そんな状況にも関わらず、彼は盗むのである、誰のものか分からぬ下着を。ここに他の犯罪とは一線を画する愚かしさを感じる。相手がどんなだか解らない状況で、盗んでいった彼、彼は言葉を失うほどにアホである。

 (文字数制限があるのかと一杯一杯書いてみたが、この携帯、結構書けるものであるな)