第1221回 屋根の上の人と喋る母

 
 わが母・紀代子は、昭和15年生まれである。時折、着電がある。
 未だに彼女は私を中学生の男子ぐらいに思っている嫌いがある。
 彼女は言う。
 
 「あんた!野菜食べなあかんで」
 「あんた!ヤクザな仕事してたらあかんで!」
 「あんた!ふしだらなことしてたらあかんで!」
 「あんた!身体ちゃんと健康診断受けなあかんで!」
 タバコを吸うたらいかん、酒を飲んだらいかん、…いかん、…かん、…ん、(以下数十戒を省略)。
 
 僕は、決して感情を激昂させることはない。母にいつも一言静かにこう言う。
 
 「うるさいねん」
 
 これを読んだ読者諸君は思うだろう。
 「なんと親不孝で、もったいないことを言うのか」と。
 あなたの忠告はきわめて当然である。自分が腹を痛めて産んだ子供の幸せや安寧を望まぬ親がどこにいるか。それを「やかましい」とあなこくのは誠に不孝であり、もったいないことこの上ない。いや貴方のご忠告はもっともだ。それは解る。
 また私の父や祖父、それ以前の血脈が連めんと繰り広げてきた男系の極道の限りを、わが代においてぷっつりイタチの道にしてしまいたい母の願いもすべて解っているのだ。だが私は言う。
 
 「うるさいねん」と。
 
 母は少し耳が疎い。最近、実家のテレビの音量が大きくなった。同じシャープだから変化に気付いた。わが家が音量15だとしたら、実家は25で見ている。
 軒づけの海苔屋のオバンとまでは言わんが、かなり大声で、はっきりくっきり言わねば伝わらん。
 ということは、だ、ご承知の通り、発話者(母)側もかなりの音量で声を発することになる。
 
「あんた!ヤクザな仕事してたらあかんで!」
 
 この一文を例に挙げても、本来ならば、世間をはばかり少し声をひそめて言うべきような言葉である。それを母は電話口で、雨漏りする瓦を直しに屋根の上に登った人に指示するような大声で話す。フルボリュームだ。伊丹空港の近所で話すみたいなのだ。こちらが地下鉄駅の構内にいる時でも遜色なく聞こえる。まるで落大の先輩と話しているかのような大声なのだ。
 ゆえにマンションの上下左右斜めに隣接する家の人たちは、この会話の一文から、僕があたかもヤクザか博徒か、ヒモか情夫かのような生活を送っていると思っていることだろう。まる聞こえのリアル「サトラレ」状態となる。
 
 私はこれまで何度も母に言ってきた。
 
 「おかん、おかん、うるさいねん。声デカイねん。おかんの声はよう聞こえてるから、炭坑夫に昼飯呼び掛けるような大声はやめてくれ」と。
 
 しかし母は「私のどこが、炭坑夫に昼飯呼び掛けるような大声やのん!」と、炭坑夫に昼飯呼び掛けるような大声で言うのだ。らちがあかん。
 
 私は一計を案じた。直ぐ様、母に電話した。
 
 「おかん、今、テレビで言うてたんやけどな、電話って小さい声で話したほうが、電話代安いらしいな」
 
 母は驚いて「ほんまかいな!」と声をひそめて言った。
 以来、母から架かってくる電話は、すべてが内緒話みたいになった。