第1220回 何でも知っている凄い人

 僕の知り合いに凄い人がいる。実在の人物の話だ。
 その人は博学才鋭の秀才で人生経験も豊富だ。独自の情報網を常に駆使し、それはそれは、物凄く細かいことまで何でもよく知っているのだ。感心することがある。
 例えば、政治経済だけでなく、歴史や文化などの人文科学系をも総覧し、なおのこと理数科学から情報工学系まで、実に広範な知識量を誇る方だ。まさに「何でも」知っているのだ。
 驚くべきは、前述の政経人文理数情報の各分野のみならず、世情のあらゆること ― 例えば、どこそこ横丁の水道のカランが盗まれただの、○○町会で猫の子が産まれたただの、誰それ夫妻が別れそうだだの、誰と誰が不倫しているなどの恐ろしくローカルでプライベートな話題 ― までをも提供しても、既に知っておられることが多い。
 あたかも王の耳・王の目と詠われた、かの「サトラップ」なるペルシアの密偵を随所に配置しているのかと見まがうほどの情報収集能力なのである。
 これは知らないんじゃないか、と試しに言ってみることもある。これはどう?これは知ってますか?と色んな人が情報を入れる。
 そんなとき彼は答える。
 
 「知ってるよ」と。
 
 ある情報を、これは知らんだろうと思うて告げると、彼は自分の情報量を見くびっているのかと言わんばかりに、「それ、知ってるよ」と不満を表し唇を尖らせて言うのである。
 
(注)「知ってるよ」は、第一音節(しっ)と第二音節(て)に等価の強いアクセントがあり、弱い第三音節(る)で唇を尖らせ、最終音(よっ)は高く軽くはねあげる感じだ。やってみてくれ。
 
 その枕詞「知ってるよ」に続いて、それに関連する蓄積された彼の知識を披露するコーナーとなるのだ。その様たるや、落語『つる』における甚兵衛さんを彷彿とさせる。鶴の因縁、謂れを、流れるように説明するあの下りを見るかのような心地がするのだ。まさにリアル甚兵衛、物知り、生き字引なのだ。

 反ってくるのは、常に「知ってるよ」である。それ以外にはあり得ない。知り得る立場にないと思われることも、いつも「知ってるよ」と宣うのだ。僕なぞは完全に白旗だ。この人が知らないことはないのだろうか。誰しもがそう思う。
 
 昔、僕の知り合いで、この人に絶対知らないことを言ったらどう言うかを挑戦した人がいる。その方の話を聞いた。
 この人と二人で向かい合って様々なことを議論したそうだ。議論の交合数百行、話は出尽くしたかと思われた。
 そのとき、前の椅子に座った挑戦者は、対面に座るこの人が投げ出す足先の靴下を見た。
 すると足裏にサイズを示す「L」のシールが貼り付いているのを発見したそうだ。サラだったのだろう。足裏に貼り付いていたのである。
 しめた、とばかりに挑戦者は言い放った。
 
 「ところで、靴下にLサイズのシールが貼り付いてまっせ!」
 
 すると、この人は平然とした顔でこう言い切ったという。
 
 「知ってるよ」
 
 知らなかったんじゃないかという疑念も湧くが、言葉通りに受けとると、この言葉を言うために朝からLサイズのシールを靴下に貼って議論に臨んだ可能性すらある。単なる口癖なのではないかとも考えることもできよう。
 いずれにしても本質的に持っている情報量は大物と呼ぶに相応しい。靴下の足裏まで把握している大物というものは、全く計り知れないものであることよ。