第1217回 ライトピア敬老会(伊賀市ライトピアおおやまだ)

あいろこいろ(名・副)ここかしこ。はうばう。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 60分50名。今日から−。蛇含草。時間一杯大いに楽しむ。

 目下、表現舎は独立系として存在し、かつまた齢遅き受命でもあり、有する家庭の生計維持に躍起にならねばならぬ背景がある。自身を売りさばくに時間なく、頭脳明晰な者が行えばより効率的方策があるのやも知れん。
 しかし、そもそも「表現舎」という行為自体は、一般的な経済活動とは趣が異なり「大衆と共にあって大衆と共に歩む(本日誌)」中から、「主客の一体」とその向こうにあるものを、乱坊が眼前の相手方と体感することにこそ主たる意義があるのであって、造物主の意図を舞台という特殊な空間から、あるいは極一般の日常生活行動の中から推測するという「道」を求めるものと規定しているだけに、なお一層始末が悪い。赤貧を洗い倒し洗濯槽は真っ赤ぃけ、爪に火を点し全身これ丸焼けである。
 見えざる、の臨在はこれ常態となり、後頭部の毛は常に逆立つ興奮に日々あるが、家族は泣いている。ここは辛抱してもらお。口に薄く糊できれば良いではないか。
 ま、かかる困難な状況下ではあるが、熱心読者も既にお気づきのように、表現舎のすべての出演は、かかわる関係各位のご好意と、彼らの天文学的な連接の連続により成立している。つないで下さった方々に項を分かって御礼申し上げる。また9月は敬老月間ゆえに、お陰さまで『あいろこいろ』出させてもらっている。重ねて感謝する(副詞的用法ならこれでいいか?)。
 
 面白いことがあった。
 
 伊賀では本当によく出演させてもらうのだが、大概は近鉄伊賀神戸駅で拾って頂き、お車での送迎となる。この日も駅に降り立つと、お迎えにM女史が来て下さっていた。ご挨拶し、車に乗り込む。会場やお客様のご様子などを伺い、会場に向うた。
 道のりは車で2、30分あった。結構喋れる。喋り込んだ。M女史は、実にお心を開いて下さり、車中は楽しく、ちょっと暖まる。
 講演も含めた舞台での様々な所感や反省などを話していたとき、まつ梨の小学校の授業参観で、担任の先生の見事な空間グリップに感銘を受けた話などもする。
 M女史は前を見ながら「わかります」とおっしゃった。彼女は教師をご経験され、低学年の心を鷲掴みにすることもなりわいとしてこられた方と知る。
 そして、そこで彼女がされた話を要約すると、点として存在する個が、面として、そして教室という立体の空間そのもののがひとつになるとき、よい授業と感じるという。何の打ち合わせもなく、僕の前でその話をなさる。これ、完全に「主客の一体」の話をしておられる。口が音を立てて乾く。
 
 ちょっと深く行きすぎて、夜中の12時半くらいの天王寺の鳥貴族で飲んでる時の話みたいになってきたんで、がらっと転調してみた。
 
 「僕は伊賀が好きでしてね…」
 
 別にご当地ネタで歓心を買おうというのじゃない。縁があるのだ。郷土宇陀からほど近く、学生時代は終電を寝過ごせば一気に伊賀だった。歩いて帰ったことは数知れず。また塾は名張に通い続けた。4年付き合った女も上野高校出身の伊賀女だ。上高の話をすると、
 
 「ふふふ、私の後輩ね」
 
と、彼女は言った。僕はとっさに、
 
 「ああ、女史、上野高校でしたか。道理で僕のタイプど真ん中ですよ!」
 
と言ったり、言わなんだりして、車は進む(これは言ってない)。
 
 「伊賀では、思い出深い寄席がありましてね」
 
 僕は風庵のことを話しだす。とても良い寄席で、寄席のあった日は酒樽を踏み抜く勢いで、お客様もろともお泊まりして大騒ぎする旨を語る。また席亭のきーさんは、こっちが勝手に「心の義理母」などと称してお慕いし、ご厚情を賜っている、と話すと、また彼女は笑みを浮かべてこう言った。
 
 「ふふふ、ウチ、風庵さんの2軒隣りです」
 
 ご近所で懇意にしておられ、M女史のお母さんは風庵の寄席にもお越しになられたこともあるという。
 M女史、はっきり言って、もうあなたは他人じゃない。車中温度は一気に頂点に達し、僕はもう親戚のおばちゃんに車乗せてもらって法事にでも行くような気分になった。最高にハラショーな気分で会場へ向かう。本番も後ろで聞いて頂いていたと思う(メガネを外すと見えない)。最高の配材をして頂いた。これは御業である。
 
 ここで、「御業などない!神など居ない、神は死んだ!」などとあなこく無神論者のために、ひとつの思考実験をしてみよう。
 
 僕のお迎えの車の中の温度をとてつもなくヒートアップさせて、舞台で僕に最高のパフォーマンスを実現させようと目論んだ者があるとする。仮に主催者側の密命を受けて、請負でこのプロジェクトを推進する者、彼をここでは(仮名)「エージェント」と呼ぶことにしよう。
 エージェントはとてつもない働きをする。
 まず、僕とM女史を、この星に、プラスマイナス10年から15年以内に出生させるように、種族保存と血統維持させなくてはならない。異なる星系や、数世紀はおろか、わずか50年のオーダーでズレがあっては、もうアウト。出会えない。これは至難の業だ。
 M女史を伊賀に育み上高に行かす努力や、八尾に生まれた6歳の僕を両親の事情という名目で宇陀に転居させるには、登場人物の多さを考えると相当の難渋があったと思う。ここに、かつて交際した伊賀女を上高に行かせるという画策も同時に行わなければならない。
 次いで、中学の近鉄大阪線名張から榛原まで、枝雀師匠とふたりっきりの貸切電車の経験をさせ、大学受験の終盤に赤本に載っていた「落語大学」の写真を目に止めさせ、同時にあの日、同級生の平良に仁鶴師匠の「貧乏花見」のテープを持ってこさせる、などの心憎い演出をエージェントは連続してこなす。しかし、これでまだ落語大学に行く心根ができただけだ。
 そしてM女史を学校の先生にして「主客の一体」を論じ合わせる準備をする。またエージェントはM女史を絶対、他市町村に嫁がせてはならない。これまた出会えなくなる。エージェントの前に消えていった夫候補者もいたはずだ。エージェントはものの見事に冷酷に消すだろう。恐ろしい。
 加えて、僕の国立受験を落とさせ、同志社と関大の選択で、みごと「落語大学」を選択させるには、一体どれだけのパワーを使ったろうか。また落大に入り、当時の先輩たちによる第何次目かの黄金時代を初年兵の時代に見せ、魅せられ、その後、天狗になったり、どん底まで落ちたりしながら、舞台数を踏ませ、…(以下、就職や結婚などに関する記述が延々と続く。86行省略)…というCIA、FBI、フリーメイソン、内閣調査室、特捜、国税の上級査察官らも裸足で逃げ出しそうな調査力と交渉力、豊富な資金力を駆使して、エージェントは、あの車に、僕らを、乗せたのだ。
 
 ありえない。そんなことができるエージェントなら、こんな(僕にとっては大きいが、人類にとっては)瑣末な喜びを演出する請負はやらない。断言する。だいたい請負金額なんぼやねん。
 天文学的な偶然(君がそう呼ぶなら)の連続を、必然と呼んだほうが合理的なことだってある。不必要なことなど何もない。今日起こることは、すべからく未来に起こる伏線である。すれ違っただけの人とも、後に必ずまた出会う、出てくる。意識してみればそんなことの連続だ。見えないのではない、見ようとするかどうかだけの問題だ。