第1204回 帰省

 盆はジョゼに二日間休みを受く。黄金週間以来である。休みなきも、休みあるも、ありがたい。みえざるのはからいに感謝する。
 帰省。実家の墓原に娘らを連れ出頭し、孫作以下、文次郎、万太郎、隆雄ら各代先祖に、平素の無沙汰とわが極道を詫び、加護を謝し、表現舎の現在の到達を報告。線香を手向け心経の一本も唱え手を合わす。
 仕立て屋さん(藤本先輩)、森脇君、池田君らなどと会いたかったが、盆中で行事もあろうからと控え、娘らのアイスクリンを買いに立ち寄るファミマに小西君を訪ね、太鼓台のことなど話す。
 ねじれ、平良にも会って乾杯せねばならぬが、盆に会うなんて、ご先祖の霊じゃないんだから明けてからでいい。
 エーコープに、夕餉で父と酌み交わす肴などを買い求めに寄る。そこに上之町HRZW君がたまたまおり,彼の言う「またそろそろ、祭ですなあ」の言いに後で独り笑う。まだ八月である。早い。
 祭は昨年、池田のイベント出演で欠礼した。今年は万障繰り合わせねば、墨坂大神や保存会青年部の皆に申し訳が立たぬ。これら二者は等価である。
 僕の時がそうであったように、太鼓は「若い衆ら」のものである。引退した老兵が運営に何も言うことはない。僕が言うのはただひとつ、「パッチの火を消すな」。これだけである。
 夕餉。親父と痛飲。ジョゼッペや大阪維新の情勢などを手短に解説し、郷里の近況などを仔細に聞いて、交わす芋ロック二人で一升半。平素わが食う肉の価10倍はする福寿館を喰らい郷土、実家を満喫する。親父ますます酒強く、一杯目から芋ロックで皮切る飲み様に笑う。一緒だ。二代続けて酒(さか)意地汚い。
 翌日は、シニア隊時代のわがサンクチュアリたる鳥見山公園の山上の神社に参拝。山上公園の池を巡り歩きながら、娘らに、神は自らの内にある、ことを宝物であろう鏡を例示し説明する。自身のインスピレーションに耳を傾けよ、それは君の声に非ず、と。今の彼女らには、それくらいで丁度いい。父が言うてた言葉を覚え置け。
 後、榛原の温水プールで娘らの水練猛特訓。以前も書いたが親子で気に入りのプールである。水が美しい。二時間大いに遊び、帰って昼寝。
 夕方には皆で難波に出で、仕事上がりの妻も合流し、がんこ寿司難波本店で食事。またも親父、芋ロックから口火切るが、僕とご同飲の皆さん、あの同態は親子別々に自然発生的に起こっているのであって、どちらかが、どちらかに影響を受けているものではない、ちゅうことを強く明記しておく。
 両親と久々に過ごし、娘らとも十分に共に過ごす時間が取れた(これを想起させてくれた、ハナカミアン=ブラピにも礼を言う)。楽しい盆休みとなった。
 娘らにとってもいい盆休みだったろう。何と言っても、妻により宿題満載にされたリュックサックをもたされた彼女らに僕は厳かに宣言したのである。
 「いろいろと父さん、お前らとやることあるから、宿題なんかせんでよろしい!」。
 たとえ、宿題せんかったかて、命まで取られることは決してない。それが証拠に父さんもまだ生きている。