第1201回 東住吉区社協いきいき教室(東田辺小学校)

 NS-9000-T(T型九州男児)と昼食に行ったついでに、会場に落としてもらう。感謝。
 めちゃくちゃ暑い日だった。その中をお客様方、わざわざお出まし頂く光栄に浴するは、これまた感謝である。
 15名90分。今日から−、蛇含草。再三に記すように、拙いトリガでお喜び頂けることは、お客様方自らが客席の一体を想起されるを生き証人として立会する、神聖な時間である。善きお客様方に囲まれ、その一員として時空を共有する。果てて、見送り、見送られ会場を出づる。
 
 事務所に戻る。この日は前出のNS-9000-Tが担当するアラビア地区のビアパーティーだ。アラビア地区五百名を超える皆さん方とビアガーデンで乾杯するのだ。会場は立錐の余地もない。圧巻であった。NS-9000-Tの奮闘に敬意を表する。
 アラビア地区は、表現舎、複数の連合で出演してきた歴史がある。そのいずれもが思い出深い会であった。
 あらゆる連合や町会(町会だけではなく、民生、社協、ネットワークや推進委員などを含む)で積極的にご活躍される女性の皆さんたちは、福祉の最前線で地域の一体をめざし、まばゆく光り輝く太陽であり、僕の憧れと尊敬の対象となっている(これまでも本誌報に幾度も書き記してきた)。
 さて、これら地域でご活躍されておられる皆さん方は、ほぼ概ね、ジョゼッペ・グリマーニ後援会の役員さんでもあるのだ。ビアパーティーに来ておられる。いくつかのテーブルにご挨拶に行った。
 
 「あれ、乱坊ちゃん、こんなとこで何してんのん」
 「なんや乱坊ちゃん、どうしたんや、スーツ着て」
 「今日、何かで出んのんか」
 
 「いや、仕事ない日は、昼間ここでお世話なってまんねん」
 「あらよー、そうかいな。まあ乱坊ちゃん一杯飲みぃな」
 「いえいえ、勤務中ですから。え?あ、まあ、へぇ、はい、あ、そうですか。ほな、まあ唇湿す程度に」。ほいでグビリとジョッキを干す。
 
 面白いものである。もはや端境はない。表現舎はいついかなるときも表現舎である。いついかなるときも表現舎であることができる。奇跡である。
 
 さて、いつもは、娘たちに書く本誌報であるが、今日は書く相手が違う。短かきではあったが、ジョゼッペ事務所で共に机を並べて勤しんだNS-8900-Sへ書く。いずれの世にか、君これを見つけだし読むことを念じて記す。
 大阪バス停会議で、また車の中で、雑ぱくとした話しかして上げられなかった。君の戸惑いや煩悶に若い頃の自分を見たし、未だ君の五十センチ先を溺れもがいているとしても、一日でもこの世界(業界ではない。字義通りの世界だ)にある年長として、君に最善を伝えようとした。君は何とか理解しようとしてくれた。心から礼を言う。
 第三回バス停会議以降、君は自分がなろうとするものを考え、口にした。それにより君はシンガポールへ旅立つ。世界がバリバリと音を立てて動くのを感じたのではないか。それは君が動かせたのだ。奇跡は誰かが起こしてくれるのではない、君が起こすのだ。
 僕が重視する要素 ー 既に君とは共有出来ていると思うが ー を心に留めて動けば、遥か異国においても、君を助けてくれる人達がきっと現れる。君は独りじゃないことに気づくだろう。
 
 僕もそうだ。天を仰いで表現舎になると宣言したあの日、それまであれほど夢見たこの世の富や栄達が、視界から夢消し、大衆の中で大衆と共に歩まんと岸を蹴った。爾来、食うに困って、独り制服を着て夜の街に立ち、或いは汗みどろで荷を担い降ろしながら、われかくあれかしと願い、様々な人を通じた導きをまえに、選んできた数多あった選択肢のひとつの上にいるだけだ。
 最善は、パラレルにどの選択肢の先にもある。どれかを選んだから失敗とか、どれかを選んだから成功などという、アミダクジみたいなものじゃないと確信している。僕も、君もその選択肢の分岐に常にいる。たまたまそこで君に会ったのだ。
 言葉を変えよう。今、僕があるのは、今を勝ち取ってきたのではない。僕は、現下、富や栄達からは程遠い生活だ。しかし、パラダイムを変えれば居ながらにしてパラダイスに至るという大いなる実験の最中である。
 
 身を委ね、たった一言こう言ってきただけだ。
 
 「感謝します。やってみましょう」
 
 らいむ師の門を叩いた僕に彼はこうおっしゃった、「君とは師弟関係ではないが、喋りたいならとにかくやってみたらいい。僕が知ってることはすべて教えてやろう」
 妻がいつ来るや解らぬ仕事に昼を空けておきたいとする僕にこう言った、「あんた、夜、時間あいてんねやったら、求人情報誌に載ってた夜勤の警備員にでも行ったらどう?」
 粋花師が生活に喘いでいた僕におっしゃった、「うちの嫁はんが、社協でこんな仕事ある言うてるけど、乱坊、やってみるか」
 1年と定めた年期の終わるその日に、指令室竹田さんが僕にこう言った、「高野警備士、今度、長期の竹中の現場があるんですが、行ってみませんか」
 忠拝君が言った、「オーソドックスな選挙がみたいなら、一度、ジョゼッペ事務所にお手伝いに行ってみませんか」
 また妻が、ジョゼッペのパーティー券を売りさばいたらジョゼッペ勤務が終わると知って、僕にこう言った、「あんた、どうせいつか昼勤なくなんねやったら、それに備えて今度は求人情報誌に載ってた、夜勤の配送センター荷下ろしにでも行ったらどう?」(彼女は夜勤ばかりを奨める。夜は静かに過ごしたいそうだ)
 モーリタニア・ド・フレンチがパーティー券を売り終わり明日から仕事が無くなるという日に、僕にこうおっしゃった、「明日で終わりなんですが、明日からマダガスカル地区を担当してみてはどうですか」
 クールさんがおっしゃった、「乱坊!千林で喋ってみいひんか」
 豊能の姐御、池田の吉岡はんらが言ってくれた、「〇月〇日、空いてる?」
 色んな区社協の人がおっしゃった、「うちの区で、こんなテーマで喋ってみませんか」
   
 僕の面前の人達を通じて繰り出されているこれらの選択肢の提示は、もはや偶然の羅列ではない。天文学的な偶然の連続をもって、それを必然と呼ぶ。見えざる、は、周辺の方たちをオールスターキャストで配役し、必要な言葉を適宜提示するのだ。
 君は口にした何かに向かい進みだした。途中で変わったっていい。あらゆる選択肢の向こうにある、すべての道に花咲く春はあると信じて歩みたまえ。

 君がその旅路に嬉々として出立できたことは、僕が、君と出会って君に対し果たすべき役割を全うした気になっている。そして僕と君が出会ったあの空間を、「美しく」旅立てた君に敬意を表する(僕の提案を採用してくれてありがとう)。
 
 日本に帰ってきたときは連絡をよこしたまえ。僕が君に提示した仮説を補強し、あるいは修正する強烈な君の経験を心待ちにしている。
 その時はチンチン電車の駅舎で豪快に飲もうではないか。大阪チンデン会議だ。アテは俺に任せたまえ。
 終わりに臨み、貴殿の道中安全、武運長久を祈る。