第1200回 イソ号の近況

 新しくジョゼッペ事務所に入ったABタン(埴神家 振ら飛 [ハニカミヤ・ブラピ]君)に、僕が乗り回していた名車・パソ号(トヨタ製普通乗用車“パッソ”)の常用を譲った。僕ご用事の時は、パソ号の代わりに事務所の街宣車であるイソ号(トヨタ製商用車“プロボックス”)に乗ることにした。
 街宣車イソ号は、天井に巨大なスピーカーを載せ、リアのウインドウには、白字の巨大な切り文字ステッカーで「●●党」と大きく書いて貼ってある。もう、ひと月ほどこれに乗ってる。初めは恥ずかしくて嫌だったんだが、だんだんと「これに乗る意味」があることに気がついてきた。
 第一に、サボれない。おちおち車を止めていられない。大きく書いて党名を貼ってあるからすぐに誰だか解っちゃう。木陰で涼んだり、コンビニ、食堂、ラブホテル…、ああ、あの車では不用意なところへはどこにも行けない。まあコチトラ、元々サボる気なんざ毛頭ないんだが、めしを食う時も気を使う。あの車でワシワシとコンビニ・チキンやチューチューアイスを食ったりできない。また豪奢な金髪ブロンドを傍らに乗せて、葉巻片手に会話を楽みながら仕事をする、というようなマネは絶対にできないのだ。
 第二に、僕をして模範的運転手に生まれ変えさせる。これは素晴らしい効果である。党名を掲げて走るのだから下手な運転で敵を作っている場合ではない。見事である、安全速度はモチロンのこと、すべての人に何もかも譲る。自動車はもとより、歩行者、高齢者、ご婦人、学童、自転車、三輪車、小動物、馬、羊、猿、鳥、犬、猪…。まあ、何にでも「どうぞ、どうぞ」ってなもんで、どんどん前を横断してもらう、先に行ってもらう。自然、安全運転となる。そりゃ、あの看板下げて暴走運転はできないわな。
 パソ号では駐車違反を2回取られた(内一回はレッカー移動された。エライ出銭だ)。街宣車イソ号では路上駐車は絶対に許されない。わずかな訪問でも100円パーキングに直行だ。看板下げたままレッカー移動されることだけは避けなければならぬ。
 第三に、走っているだけで広告塔となる。あんなデカい字で党名が書かれたものは、党本部の建物看板くらいだ。それで地域のすべての道を隈なく走りまわるのだ。実際、ご支援くださっている方から手を振って頂いたり、止まっていると通行する見知らぬ人から、「次はガンバッテや」などとお声をかけてもらったりする。じっと車をご覧になられている方も多い。後続の車両などリアウインドウの巨大党名しか見えないであろう。拡声はしていないが存在するだけで無言の街頭宣伝になるのだ。
 この3点だけでも、街宣車イソ号に乗る意味は充分にあると思ってる。
 
 この日、こんなことがあった。
 
 14時半頃だ。ご訪問先の家が留守だった。玄関先で名刺の裏ににメッセージを書いていたら、僕の後ろを通る人がいる。
 犬を二匹連れた60代後半くらいの方で、家が近所なのだろうか、風呂上り風で「裸の大将」とまったく同じ格好をして歩いておられる。彼は、僕に何かを言った。笑顔だった。
 「○△◇◎▽□…。」
 小さい声で何を言っておられるか分からない。僕も手を止め笑顔で尋ねる。
 「はっ?」
 彼は声のボリュームを少しく上げた。何を言っておられるかがわかった。
 「こんな大きな字で書いてある車によく乗るなあ」
 こんな車をあてがわれて仕事をしている僕への同情だろうかと思う。
 「ええ、この車しか事務所にないのでね」。笑って答える。
 すると、彼の顔に戸惑いが少し見えた。彼の本意が僕に伝わっていないことを察知したのだろう。しかし、彼は年長者としての余裕を精一杯表そうと再度、笑顔で声のボリュームをもう一目盛り上げてこう言い放った。
 「こんな大きく●●党と書いてある車に、よく乗るなあ。日本の国を悪くしたのは、お前らじゃないか」
 彼は僕にアイロニーをぶつけていたのだ。もうちょっとわかり易い表現をとってもらいたいものだが、僕の前に現れ、この言葉を吐いてくれた彼に僕は感謝した。僕は、彼に敬意を表して、彼に「愛」をもって最大限解りやすい言葉を返さなければならない。考えた。誠実に一言返すことは彼への礼儀である。
 だいたい「日本の国を悪くしたのは、お前らじゃないか」というフレーズには、どうしても承服出来ない点が2点ある。「悪くした」という点と「お前ら」という点である。
 僕のお祖父さんや親父を含む先人たちは、あの戦後の荒廃から新日本の国家建設(前文)を夢見て、精一杯汗を流して下さった。子孫にひもじい思いをさせないでやろう、勉強もしっかりさせてやろう、一生懸命働いて家族に楽をさせてやろう、国際社会で名誉ある地位を占め、再び戦争の惨禍がおこらないようにしよう、とされたと思う。
 そのお陰で、貧困から脱却し、自由に物が言える社会を担保され、狂おしいまでに諸外国にひれ伏して、今の日本の礎を築いて歩んでこられた。その先の政権、敗戦からこっちのすべての道を「悪くした」の一言で片付けるのか。一体なにが悪くて、なにが良いのか。まぢで教えてほしい、今の日本を形成するどこからどこまでが悪くて、どこからどうなっていたら良かったというのか。表現舎が薄くでも口に糊できる、こんな自由な選択ができる価値観(と生活)を振り回せるこの社会の悪いところとは一体何だったのか。
 復古するのか、復古するならどこまで行くのか。先の憲法まで戻るのか。「悪くした」のは産業か、社会保障か、外交か。それとも民衆生活か、はたまたあなたの生活がうまくいってないことか。あなた個人のことはあなたの頑張りも大きなファクターとなる。政治だけの問題じゃない。
 そして、それらを一挙に変えたいと思って2009年の衆院選で、あなたは政権交代に嬉々として票を投じたでのではなかったか。それによってさぞかしあなたにとって素晴らしい社会ができたことであろう。政権は交代したのである。「悪くした」奴らが退場してどう変わったか、どうか先輩でご慧眼のあなたに教えてほしい。僕に滔滔と政権交代後の素晴らしさを、あの時のように、今、説明してほしい。僕には今こそがあなたの言うように「悪く」なっているように見えて仕方がない。
 またあなたは、悪くしたのは「お前ら」だという。国憲は国民に政治参加の権利を保証している。独裁制でも貴族制でもなんでもない、議会制民主主義を採用し、国民が選挙を通じて代表を選出して幸福を追求する権利を有している。選挙人としてあなたは候補者たちに票を投じてこれまでの国政を選択してきたはずだ。残念ながら、あなたがそれら今までの選択で、納得のいく結果が出たかどうかは知らない。すべての政党は、社会を良くする「ひとつの道」を示しているのであって、あなたはそこに参加して選択をしてきたのだ。長い人生で選挙の応援もしてきただろう、政治家を育て後援もしてきたはずだ。そいつが政権をとったって良かったはずだ。取らせるようにあなたが頑張ってもよかったはずだ。
 人類が到達した、問題をはらみながらも、考えられうる最良の意思決定方式である民主主義のもとでは、あなたの負け戦もあなたの立派な政治参加であって、だれかに投票してきたのであれば、あなたの投票した人が沢山の人を納得させられなかっただけの話だ。けっして「あなた」だけをほっぽらかして、誰か他の人が、どこか別のところで政治や選挙を行ってきたのではない。
 あなたが理想とする代表、政治家が居ないのであれば、ご自身が候補となる道もあったはずだ。あらゆるすべての方法は、あなたが選択できたのだ。もし日本が悪くなったとするならば、悪くなっていく過程を指を咥えてただ傍観していた「あなた」もまた「お前ら」の一員である。
 政権交代を僕も指を咥えて見ていたわけじゃない。少しネットで調べれば、今日の現政権の狂態は十分予測できたはずだ。だから今、当然、生活のこともあるが、僕は出来ることを探して自分で納得して、このイソ号に乗って走っているわけだ。あの頃抱いた危機感は今もなんら変りない。
 お見受けしたところあなたには、国民として、選挙人として、これまで政治に関わってきたという、そして今も政治に関わっているという「当事者意識」がなさすぎる。それを僕はどうこういう立場にはない。あなたを反面教師にするだけだ。

 無論、こんなことを議論している時間はない。街中で大声上げて議論する内容や時間、立場でもない。こんなこと夜の10時くらいの天王寺の鳥貴族なんかでやる話だ。
 僕は、何にも言わんのも愛想ないと思い、彼に一言だけ笑顔でゆっくりと言った。
 
 「こんな大きく●●党と書いてある車に、よく乗るなあ。日本の国を悪くしたのは、お前らじゃないか」
 「ええその党を勝たして(しまって)きた、『あなた』を含む、前世代の皆さんが選挙で選択してきたのが、この『悪い』社会です」
 
 彼は黙ってどこかへ行った。僕は名刺にメッセージを書き終えると、次の訪問先に向かいアクセルを踏んだ。