第1192回 長い一日

 7/13は、実に長い一日であった。思い出深い一日である。

 昨年、だ。アビさんの紹介でつながったクリエイト・マネジメント協会の前田女史は、僕に連絡をくれた。曰く「会いたい」と。
 「応よ!会おうじゃねえか!」と速攻、社へ急襲した。その日のことは日記に書き残している。(参照:2010-12-20付「第1085回 東住吉区いきいき さくら会 北田辺友愛会館」の後段あたり)
 きららさんを介し100年の既知となる。ひととなりは上品にして真摯熱心、機転利発かつ行動敏なる妙齢の別品である。
 彼女は、まず僕の舞台を検品にきた。西区いきいき教室をご覧になる。「商用に耐えうる。アンタを売ってくる」ということで合格したようだ。
 今年の2月、こんなことがあったそうだ。安全衛生大会や企業の研修に僕のプロフを持って売り歩いてくれていた。大手タイヤメーカーとの面談の際、先方が事前に僕をネットで発見しており、提案側の女史に「こいつを探して来てくれ」とおっしゃったらしい。彼女は、おもむろにカバンから、当日渡そうとしていた僕のプロフを出し言った。
 「それは、この男のことでございますね、フフフフフフ」
 「おお、そうじゃ、お主もなかなか気が効くのぉ、ファッハッハッハッハ…」
 揺れる行灯の灯、障子に映る二人の影、密談…。ま、どんなこと言うたか仔細には知らんが、双方合意の売買契約における申込みの成立となった。が、これは残念ながら僕に先約ありのスケジュールアウトに終わった。残念なことである。
 しかし、今回、彼女はここを引っ張ってきてくれた。感謝する。
 
 ■関西電力守口営業所安全衛生大会 講演(関電守口営業所)
 90名。今日から使える―60分。式典終了後の休憩を終えて登壇。後半に向けて自分も乗り、皆さんとともに楽しく駆け抜けた。
 安全衛生大会は、通常やはり重いであろうことを予想して行った。よく、らいむ師などと話す。業務の一環であったり、業務命令で来ている方も多いだろうから、重量感は仕方ないこともある。マクドで打ち合わせ現地へ向かう。
 社内の会場へ向かう廊下は、現在、渦中の業界だけに節電による真っ暗で、担当氏は大変恐縮がっておられた。国民が一丸となり復興の槌音を鳴り響かせるべき時である。無問題である。
 本番は、実に熱心にお聞き下さった。常々、「講演のご理解は講師の熱意に比例する」と信じていたが、受講者の熱心に後押され励まされての60分となった。お礼申し上げたい。
 会場を出でて、ダブルヘッダーの2会場目に急ぐ。
 
 ■吹田市介護予防講演会(亥の子谷コミュニティーセンター)

 時間はあったのだが、携帯のGoogle Mapのルート検索で目的地までの道程を探すと、モノレールの万博公園駅から山田の旧村落内を歩いていくルートを指示される。大体いつもGoogle Mapを信用しているので、万博公園駅に到着。改札口に立っていた若い駅員嬢に聞いてみた。
 至極暑い日であった。駅員嬢はハンカチで自分の首筋の汗をぬぐいながら、僕が目的地までの道のりを問うたのに対し、「人間が、この炎天下に歩いていく距離ではない」という内容のことを心配そうに言った。「水分を持って行って下さい」。えらく親切だった。
 僕は歩き出したが、10分も歩かない内に彼女の心配の意味がわかった。直射日光から逃れる術なく、アスファルトの猛烈な照り返しがある舗装された道は、ガスキッチングリルの両面魚焼器を髣髴とさせた。「こらあかん、死ぬ」
 僕は、朦朧としながら目を挙げると「万博公園住宅展示場」の看板が見えた。「住宅展示場か…。ああ、何もかもが懐かしい」。いろんなことを思い出す。
 僕はかつて不動産業者であった。思い出深い案件や商談がいくつも去来した。死の直前に見えるという走馬灯はこんな風に回るのか、マッチ売りの少女が炎の向うに見た幻影はかくのごときものであったか。汗を拭う。
 最も思い出深い案件は…。あれだ。ある物件の全景が、陽炎の向うに見えた。ああ、奈良の…あれだ。
 競売で1500坪を落とした。自然公園法の国定公園内で、既存宅地制度(平成18年廃止)をこねくりまわしたややこしい案件だった。県の各部署と協議し、なんとか販売できるところまではこぎつけた。環境はものすごく良いところだ。だれもが知ってる大きなお寺のお膝元だった。
 だがしかし、十数区画に区切り直した物件は、少ししか売れずに心底困っていた。売れるか、死ぬか、それが問題となるシェイクスピア張りの選択だ。
 困り果てて僕は、”心安くしていた住宅メーカーの営業の方”にこの案件の売却方法を相談してみた。その人は現地を見て即座にこう言った。「寺に売りに行ったらどうよ」
 その日の内に僕は寺に行った。すると出てきた寺の宗務長は、僕の顔を見てドエライ大きな声でこう言い放ったのだ。
 「お前か!ウチの参道沿いの桜の名所、売りさばいてる奴は!」
 そこには沢山の桜の木が植わっていた。
 「そうです。何かクレームでも」
 「クレームやあるかい。待ってたんや。あんなとこ売り飛ばされたら、あの桜の木、皆切られてまうやないか、そんなことはさせんぞ。すぐ持って来い!」
 「は?何をです?」
 「契約書や。すぐ持て来い。皆、買うたる」
 「み、皆れすか。あ…、ありがとうございます」
 首の皮一枚で生き長らえた。
 
 あの時の”心安くしていた住宅メーカーの営業の方”は誰だったのか。僕は、逃げ水の揺らめく舗装路を眺めてその解を見いだそうと目を細めた。
 そのときだ。不意に来た、思い出した。「ああ、あれは、きりんしゃんだ!」。一年のときの三年、落大の事務長でいらっしゃった爪田家輝林兄である。可愛がってくれた。寺の件の恩人だ。
 「あの人は、確か…。」
 大手の住宅メーカーにいるはずだ。どこの営業所だったか?カバンから携帯を慌てて取り出す。電話する。
 「乱坊か、何や」
 「輝林さん、いま、どこの、営業所ですか?」
 「え?」
 僕はもう一度ゆっくりと言った。
 「い、ま、ど、こ、の、営、業、所、で、す、か、?」
 「俺か?今、万博公園の住宅展示場や」
 「何ですと?」
 「万博公園
 鼓動の高鳴りを抑えることができなかった。営業所、美人女性営業、アイスコーヒー、営業社用車、クーラー最大、助手席、冷え冷え。最高の映像が思い浮かぶ。
 「何ぃー!ぶわん、ぷわく、くわう、えんんんんんん…。」
 一里四方に響き渡る声で僕は叫ぶ。
 「ほで、今どこに居てまんのん、もちろん営業所ですよね!」
 間髪入れず僕が問うと、
 「家。西宮。今日水曜や、俺、休み」と彼は答えた。
 
 がっくりとこうべを垂れた僕は言った。
 「今日、水曜でしたか」
 不動産屋は週に一日二日の安息日がある。そうだ、それが水曜だ。表現舎は言わば、毎日が安息日であって、思索と感謝の日々であるから、曜日の感覚など既にないのである。
 「さいならー」
 電話を切った。歩くしかない。このままだと熱中症になるんだろうな、とガンガン水気をとって進む。陸路南行40分、Google Mapの仰せに従い会館に着く。お出迎えの方々に「モノレールの万博公園駅から来た」旨を言うと、「え?」という顔をされる。「最寄駅は、山田駅です…」
 Google社など滅んでしまえばいい。危うく人間の日干しになるところだった。
 
 会場の「亥の子谷コミュニティーセンター」に着いて、会場を見て僕は驚いた。忘れていた。僕はここに出たことがある。僕の現下の活動の根本を作った思い出深い場所だった。
 2009-06-27付「第778回 落語選手権」をご高覧願いたい。落語をして「乱坊×××× もう呼ばないで」をアンケートで食らった、僕の記念碑的存在である。数年の間隙を経て、再びそこに帰ってきたのだ。
 90名、今日からー、70分。休憩5分(着替え)。枕2本、17分。午前の一本と、暑中行軍を経た僕は力が抜けて軽かったであろう。実に楽しく持ち時間をお客様方と駆け抜けることができた。
 前述の日誌に言う「文子(67歳)吹田市在住」は、あの会場で僕に微笑んでくれたであろうか。
 
 終わりて、阪急南千里駅に向かい歩く。つろつろと今日のことや、かつてのことなど考えながら歩く道は、西日差す黄昏の道ではあったけれど、自身の心境の変化やあるべき姿を考える真に良い時間であった。
 玉出駅に着く。茂八君との立ち飲みの約束があった。彼と交わす言葉幾数十合。彼は偉大な二つの言葉を僕に刻む。
 曰く、「僕はいろんな事を言います。帰ってから反省しちまうこともあるけれど、その瞬間瞬間は、自分にとって最善のインスピレーションを選択しているつもりです。」
 また曰く、「乱坊さんの言う『主客の一体』とは、主客を一体にせしむる心根にあらずして、そもそも主客は一体であることを思い起こすための行いである、と捉えています」と。
 茂よ、茂。君は、一を聞いて十を抽出する素晴らしき年下の先達である。ねがわくば、常に傍にいて、僕に道を示せ。僕は見たものをすべて君に話そう。