25名。茶話会込み90分。雨。お足元のお悪い中を予定人数に程近い皆さんにお集まり頂いた。
玄関口で迎賓する。皆さん、靴箱に靴を入れると一様に僕の方をお向きになり、ふかぶかと頭を下げて、
「よろしぅお願いします」
とお声をかけて下さる。それはこっちのセリフである。
座敷席。高齢者の皆様にご参加いただく会では珍しい。足を投げ出してくださいね、とお願いすると、恥じらいつつも足を投げ出しおくつろぎ下さる。ありがたいことだ。
今日からと一席。途中、お客さまの二人がお話してなさるのが目に入るが、最近、あまり気にならなくなっていることに気づく。
終演後、茶話会。終わって追い出し。玄関口でお一人お一人に再会を期して御礼する。この瞬間が好きである。寸評を頂いたり、激励の心温まるお言葉数々を賜う。
二人の方が「途中でおしゃべりしててすんませんでしたな」と言うて下さる。何をおっしゃいますやら、皆さんの自由時間に暴れ込んでいるのは、僕の方ですから、おしゃべり、居眠り、大いに結構!などというて笑っていると、お二人がおっしゃる。
「二人で、らんぼちゃん、なかなか男前やな、ちゅうてたん」
「せや!イケメンやなあちゅうて」
45づら下げて今更イケメンと言われても嬉しこともなんともないが、彼女たちをしてその今風な言葉を吐かしめ、若い男の相場を入れるという陽気で朗らかな会話の出汁ガラとなれたのであれば、望外の喜びである。
「面白かったわ。またきてや」
「応よ!おばあちゃん、必ず、再び会いましょう!」
あなたと私の間に境はない。時空を共有せずとも主客は一体になれるのやも知れぬ。彼女たちを思い起こしてこれを書くとき、僕は彼女たちとともにいる。
旭区社協の担当女史は、本日誌の読者である旨をカミングアウトされた。僕は耳元まで真っ赤に頬を染め、駄文を書き散らかしてすいません、と詫びる。もとより自分の忘備と娘らへの遺言のために書く手紙の位置づけである。
熱心読者の存在を目の当たりにして、明日からは、いや、明日こそは、ちゃんと通じる文章を書こうと心に誓う。
まずは万年筆でも買って、ニッペンのミコちゃんのペン習字をならい、上六書き方教室へ通うことから始めてみよう。