第1180回 東住吉区社協いきいき教室(鷹合西会館)

 6/21である。30名。2回目だ。ネットワークの奥様方が覚えていて下さったことがうれしい。お食事の話。一時間喋って、茶話会。
 「乱坊ちゃんのお母さんとおないどし」で盛り上がる。邦でできない孝行をするのは今しかない。
 ばあちゃんの一人が、親しかったお友達の最期のお話を一気に話される。いきいきに来て、たくさんの人の前で思い出話をしていただくのも、僕は実に良いことであると思う。いい時間となった。
 今年の初物、ビワを頂く。この地域の連長さんのご自宅に成ったものと聞いた。僕はこの方をよく知っている。皆さんでビワを頂きながら、すべてはつながっていることを知る。
 
 さて、舞台のある日は労働時間が短い。MCの仕事以外は、基本90分が最大である。賢明なる読者の皆さんは、乱坊はハネたら早くから飲んでいるのであろう、などと、あらぬ疑いをかけておられるやも知れぬが、実はせやない。
 昼勤での生計補助行為は、結構びっちりと時間拘束されているので、舞台の日の前後の空き時間は、大概、打ち合わせや資料作成に費やされている。どちらかというと飲まず準備している。つーか、あまり飲めぬ。
 昼勤で疲れ果て、終わったときの方が飲みたい。ところが、これも毎日ということになると、薄給を追い求める高校球児のごとき表現舎には、芸者を上げてドンちゃんドンちゃんはチトつらい。よって立って飲む店を愛用することになる。
 これも月末が近づくと、立ち飲みすらがきつくなってくることもある。そんなときは酒の肴に事務所のお若いのを連れて、「大阪バス停会議」としゃれこむ日もある。
 通常は、S型九州男児へ退社時におかしな目くばせをする。「オバカ(注)」の合図である。
 
 注:オバカ 「大阪バス停会議」の略称である。
 
 セブンかファミマで缶チューハイを一本づつ買う。あては、付き合わす年長の情けだ、僕が担当する。それを阿倍野筋4などのバス停に坐り、ピシッ、グビリとやるのだ。T型九州男児は、ご当地有名人であるから面さすので、おばか不可である。
 ふたりで街を眺めながら、あるいは行き交う人を眺めつつ、ああでもない、こうでもないと話す。世界観、歴史観、労働観などを、別に説教するわけではない(僕に説教したい人はたくさんいるだろう、妻をはじめとして)、語るのだ。
 僕は人を相手に、語って自分の考えをまとめるタイツだ。僕が命題を出したら、彼が反命題を出し、その中から統合命題を導き出すのだ。アンチテーゼを語らせば、彼の右に出る者はいない。まるで別の星系出身で、同じ炭素系生物じゃないような彼独自の発想や、欠落、認識の差異があって、僕は実に楽しいことが多い。
 かくて、大阪バス停は、人類文明を議論する一大会議場と化すわけだ。しかしながらバス停本来の機能は貸会議スペースではない。バスストップという、僕たちが予想だにせぬ本来的機能がある。止まるのだ、バスが。
 しかし、それも初めの数台であった。昨今は、回状がまわっているのかどうか知らんが、鮮やかに素通りされるようになった。
 「おばか」の社会的認知度がアップしたか、街の風景風物詩とみなされているか、あるいは残像や幻の扱い、はたまた空気のごとき存在感の無さが際立ってきているのかも知れない。