第1179回 マダガスカリアン・ジョゼッペ・グリマーニ後援会総会

 あまり昼勤の所感は書かないようにしている。差しさわりがあってはいけないからだ(注1)。
 
注1:ジョゼグリへの配慮が最優先であるが、ぶっちゃけ、表現舎は労使官民右左老若男女聖俗の全方向から受注しておるからして、特定の世界観やイデオローグのもとに社会を両断するわけには行かぬ。それは表現の門口をさまよう「表現舎」の現下求められている使命ではない。乱坊の言う「表現者」とその上位概念たる「体現者」の使命であるはずだ。
 
 2、3年前から表現舎の仕事がなく夜勤警備員で食いつないだ。半年ほど前までは、某急便の南港配送センターで休憩時間を楽しみに体育会的な夜を過ごしもした。昨年末ジョゼッペに拾われ、舞台と生計を両立せしめんとする実に「御業」のごとき好条件でここにいる。これをまずは神に、そしてジョゼ親方、事務所のみんな、支援者の皆様に衷心から感謝申し上げたい。
 
 なぜ、回想から始め現状への感謝を記すかというと、ここ半月ほどジョゼ親方のマダガスカリー総会で忙殺され、自分が何やってんだか、何の道を歩いているのか、わけがわからなくなっていた。終わって少しく落ち着いた。
 読者諸君!また、だ。実験か、試験か。見たことのないこと、見たことのないもの、正規の巨大なイベントを、まったくの白地の僕にやらせてもらえるのだ(注2)。
 
注2:これは決して「やらせよる」とか「やらされている」という感覚ではない。壮大な時間をかけて行う主客の一体と時空の共有と捉えれば、「表現舎」が男児意気に感じて取り組むべき時間労働者最大の栄誉である。
 
 これはものすごい体験だ。立ったままシラフで酔う。脳がぐらぐらする。でもその向こうにおぼろげながら見え隠れするのは、愛と、喜びと、自身の中に正義という形で見える体感でき得る真実だ。T九州男児やM崎先輩にはごぼし、悩みする心の動きをすべからくぶちまけたかも知れぬ。僕は、事務仕事までをも黙ってはできない質なのだ。
 6月19日(日)。午前午後で半千のお客さまにご来籠給う。酒席。今回の余興には、後輩・桂三金君の「爆笑パフォーマンス」を起用した。よくやってくれたと思う。礼を言いますぞ。僕も少しく舞台に出た。マイクを通して声は出していない。
 きちんと記録や所感を残しておかねばならぬ。後から来るちゃんとした人に、僕が見たものを可能な限り伝えるためにISO9000バリに書面で残したい。光の速度でシームレスな引き継ぎができるように準備を整えておかねばならぬ。僕はここで仲間たちと「道が直くない」ことを知るために来ただけで、「道を直くする」人(後から来る準備者)の靴ひもを結ぶ価値もない。
 こんなに恵まれた環境がいつまでも続くとは、さすがの乱坊も思ってはいない。いまはただ、海より深く、山より高く感謝するのみだ。