第1150回 中小企業基盤整備機構の「商業活性化アドバイザー」に合格の日の出来事

 ある家のピンポンを押した。初見の飛び込みだ。奥様のご対応だった。
 玄関口にお出まし頂き、話しに花が咲いた。親方夫人とお親しく、先日も芝居(T君のあれだよ)に一緒に行ったという。その奥様がおっしゃったんだ。
 「私は親せきが宇陀なのでよく猪肉を送ってもらうのよ」
 「え、僕も宇陀ですよ」と驚いて言う。
 「親せきは榛原なの」
 「は、はいばら!僕もです!」
 「親せきは駅前で、製材sy…」
 「えー!山○さんですか!タイショウ町の!」
 「あなたは?」
 「駅前の高野ですよ。万太郎の曾孫、隆雄の孫、善雄の長子です」
 「まあ!その方がジョゼッペ事務所に!」
 「偶然、ピンポンしました」
 実家の目と鼻の先だ。僕が駅前でマンション分譲したときの地元近隣自治会長で大変お世話になった。ウチの親父とも実に懇意にしてもらっている。息子はんは墨坂神社の太鼓台で僕の数年のちに団長をやってくれた仲間である。遥かマダガスカルで話す内容じゃない。
 
 この日は手早く業務を終えて、独立行政法人中小企業基盤整備機構(以下単に「中小機構」と略す)の長坂兄の出版・栄転記念講演&送別会に向かう。
 何度か飲みに行った仲だ。面白い兄である。街づくりを担当しておられるが、今回の東日本大震災で壊滅・被災した街々に、中小機構が、経験豊富なる長坂兄を現地派兵し、復興に叡智をそそがしめんとしている。
 「乾杯、乾杯、更た乾杯」。「君に奨む、更に尽くせ、一杯の酒」。長坂兄から受けた厚情を僕は忘れぬ。武運長久をお祈りする。
 
 数十人の各界の有名著名の方々の中で、独り焼酎生の杯を乾すこと幾数合。テーブルの向かい側に見覚えがある顔を見た。考える。
 
 「あああああああああああ」
 
 まただ。思い出した。僕はその人の元に走る。
 「あのー、確か、平成16、17年に、榛原町商工会の中心市街地活性化法のTMO検討委員会に、コンサルで来て頂いてた、ジオデザインの、は…濱田先生じゃないですか?」
 「はい…。あなたは?」
 「今は表現舎乱坊と名乗る、しがない表現舎風情ですが、あの小委員会に居た高野です」
 
 「おおおおおおおおおおお」
 
 思い出してくれた。これまた分譲事業の頃に、TMOで街づくりの様々なお知恵を下された方だ。
 この方の当時のお言葉で覚えているものを記録しておく。
 彼は言った、「100万人の来訪者は、1万人の定住者と等価である」と。
 
 同じ一日に起こった出来事だ。実に不思議なご縁である。表現舎となって出会う、かつての自分を思い起こす妙である。面白い。
 
 同席に、ピエールと冗談で称するおもろいおじさんがいた。仕事は何かと尋ねると、大学の先生。関大で准教授してるという。三谷先生を尋ねて飲みに行きたい。
 愉快な一夜であった。家に帰ると、商業活性化アドバイザーに合格した旨の通知が来ていた。何をお示しなのかはよくわからんが、神聖な彼にタッチされた気がする日だ。