第1137回 池田おたな引札寄席 出演

 未曾有の被害を伴った激甚災害の翌日に「寄席」を行うことが、個人的にはどうしても腹にしっくりこなかった。当日共演の出演者らとは開催の是非を様々に話し合った。僕は、前日の終了時点で主催者やプロジェクトマネージャーに熟考をお願いしておいた。
 
 被災地に「思いを致す」と、開催はいかがなものかと憚られた。
 新聞には、被災地で「お父さんとお母さんを探して下さい!」と泣いて自衛隊員に頼んだ小学生の女の子の話が載っていた。またテレビでは、津波から逃げおおせた男性が「妻と子供が見ている前で流されてしまってどうなったかわからない。自分だけが生き残っても意味がない」と、妻や子供らの名を叫んで泣き崩れる映像を見る。
 僕や、僕らは、この厄災の惨事の前に為すすべがない。人間は何と無力であることか。僕は、自分や家族に重ねあわせ、彼らの絶望の一端を理解しようとた。だめだ。涙があふれる。想像を超えている。皆がたとえ貧しくとも今、共に在ることがどれほどの喜びであるのかを改めて知る。
 目の前で慣れ親しんだ郷土が一瞬に塵芥(ちりあくた)と化し、荒れ野にただ独り放りだされたとき、天を仰いで僕は何と叫ぶのであろう。訳もわからぬままに泥流にのみこまれ絶命したあらゆる年代層(乳幼児や高齢者までを含むのだ!)が、数万のオーダーを超えている。その御柱の骸は葬られるどころか、未だ発見さえされず、ああ、岸辺に折り重なって放置されたままになっているのだ。泣けてくる。
 状況は少しづつではあるが報道を通じて入ってくる。直感として阪神淡路を超える悲惨さであることは簡単に想像できた。観測史上最大の揺れと大津波と聞けば、いかに愚鈍な僕でもヤバイことはわかる。ライフラインは壊滅的に寸断され、原子力発電所メルトダウンを起こしている。
 僕が関与している他のイベント主催者からは、震災翌日の朝までに、次々と中止や予定変更の連絡が入ってきた。妥当である。かかる国難に、国民は精一杯、鎮魂の祈りと、一刻も早い復旧に向け自分のできることを模索するべきであって、我々遊芸がアホ顔に薄笑い浮かべて人前で己を表現するなど不謹慎極まりない。誰に言われるわけでもなく、そう自分で思うた。少なくとも災害の翌日にやることじゃない。当日の出演予定者らの間ではこの認識は共有できていた。
 
 だが、開催されるということになった。
 その決定は、高度な政治判断を伴うたものであったのだろう。「やるべきやと思うしな」という言葉以外僕は詳しくは聞いていないのであるが。
 その政治判断は想像するに、実務的な苦慮からの苦渋の開催であったと信じたい。来て下さる(来てしまう)お客様に中止連絡の方法がなく、申し訳がないから開催する。これならわかる。実際、僕は開会冒頭のの司会で、苦慮したことと、「中止をお一人お一人にご連絡する術(すべ)がないから」と申し述べた。
 政治判断としてあってはならんのは、「笑い」で被災者を勇気づける、とか、「元気」を送るとかいう、浅薄なこっち側の理論である。被災地でもないところで、安全なところで、笑いや元気などを被災地に照射してみたところで何の関係もない。少なくとも今はそんな時期ではない。阪神淡路で大量発生した無力な自分探しのボランティアや、ごみ箱に直行した焚き付けにもならぬ、送りつけられた千羽鶴と同じである。
 
 冒頭に「黙祷」を行うつもりだ、と打ち合わせで発したとき、難色を示された。でも、誰が何と言おうと、やる、と決めた。僕たちが受けたかもしれない、戦争級の厄災を前に、同胞の痛みに思いを致し、鎮魂を祈る。本来なら主客全員で駅前に立って義援金を集めてもいいくらいだ。
 開演。ご挨拶し、お客様とともに黙祷をお願いする。皆さん、瞬時に趣旨をご理解下されて、こうべを垂れて深い哀悼の誠をお示しになる。およそ半数の皆さんが手を合わせて、一心に鎮魂を、復興を祈って下さる。
 
 当日、この引札寄席以外に、「おたな巡り」も開催されていた。そのメインのホスト役は、来舞兄であった。
 僕は、兄と何らの打ち合わせもできずに舞台に出た。が、あとで聞いたところによると、兄も客前において全員による黙祷から始めたそうだ。場所は異なるが、ともに皆さんの黙祷を引っ張っていたことは、同じものを見、同じものを感じてきた兄と、落語大学として通じていることを感じ嬉しいものがある。
 
 客席には、各種の寄席が中止になった落大の諸先輩方が来られていた。落語は打飼で未だ惨澹たる状況ではあったが、黙祷に関しては皆さん「善し」とされ、当然至極であると評された。中には黙祷の時間が短いとまでおしかりを頂いた方もいた。
 
 打ち上げ。手伝いに来てくれていた現役の子らに、一堂に介した社会人落語演者らが自己紹介を兼ねて、どうやったら落語が上手くなるかを一人一人一言でワンポイントアドバイスするコーナー。意義があったとおもう。
 後、家族の元に帰り、娘らの鼻をつまみ、当たり前の日常のありがたさをかみしめる。