第1133回 書道教室

 選挙の開票速報をご覧になった方は見たことがあるだろう。壁中にベタベタ貼られた「祈必勝」の巨大な文字を。あれを業界では「為書き」という。一番先頭が「為」の字で始まるからだ。
 書いてあるのは「為(候補者氏名)候補 祈必勝 差出人の肩書および氏名 印」である。読み下すと「○○候補ノ為ニ必勝ヲ祈ル」であり、言霊さきわう国に相応しい明治大正昭和の香りするもので、伝統的に太い筆書きでないとならない(それ以外を見たことがない)。21世紀の現時点でもあれでないとしっくり来ない。
 ただし、僕の知る限り、15年くらい前からテンプレート(祈必勝と差出人肩書・氏名・印)はシルク印刷で書道の先生の字を刷っておき、そこに「為(候補者氏名)候補」と一枚一枚変化する「宛先」を書き入れるという形態に変わった。為候補者名は手のひら指広げ目一杯の大きさだ。これを書き入れなきゃならない。
 「乱坊ちゃん、為書き書けますか」
 バカ言っちゃいけない。ああいうものは書道の先生が書くものだ。僕も為書きの準備をかつてしていたんだが、書くのは地元の水谷・元校長先生にお願いして、僕は先生のおそばで手元をしていただけだ。
 いつもお願いしていた人が具合悪いらしい。
 「誰も書く人がいないのならば、恥を忍んで書きましょう」
 昔、お習字には通った。原納先生に幼稚園、小学校と7年手ほどきを受けたが、皆さんの予想通り、僕にとって書道教室は紳士淑女の社交場に他ならず、ただただ延々喋り続けていただけだ。教室で笑い転げて、怒って筆を持った先生に教室中を追いかけ回されたものだ。だが、筆遣いだけはしっかり教わったと思う。
 かつての日記にも掲げたが、ウチの両親の両祖父は、入隊検査の署名を上官に認められ、旧帝国陸軍の第四師団部で、共に(互いを知らずに)事務を司り、戦死を免れたという家史がある。
 「字は命を助く」とは、爾来わが家に語り継がれた家訓であり、親父がテレビを見ながら、筆ペンで新聞紙を真っ黒にするまで落書きをする横で、同じように「マイ筆ペン(クレタケの毛筆筆ペン中太)」で親父の字をまねて書いていた。だから、いまだに国は國であり、県は縣で、区は區と書く方がしっくりくる。今でも落書きを良くする。裏紙やチラシを見つけると、娘らがお姫様を描く横で好きな女の名前(もちろん妻の名であることが無難な読解である)を紙が真っ黒になるまで稽古している。これは親父に感謝している。
 大きな字を書くのは、落語大学に入って本当に良かったと思う。寄席文字はさほど上手くはなかったが、6畳の間ほどもある大看板に、古式に則りぎっしりと、黒々と橘流を敷き詰めるあの作業は、筆で大きい字を書く(描くの方が相応しいかも知れぬ)勇気を与えてくれた。
 と、ここまで読むと、お前はどれだけ素晴らしい字を書くんだ?と疑問をお抱きになるだろう。その疑問は正当である。これが実に、一枚書く毎に落ち込んでいくのだ。上手く書けない。
 基本、寄席文字のように何回なぞってもいいというルールではない。スカッと一筆でいかんとバレる。
 集中する。自分を見つめる。わかるんだ。ビビッてるんだ。下書き通りに書けないんじゃないか、バランスが崩れるのではないかと。マイナスイメージに身体がこわばっているのがわかる。
 10人前くらい書いて思う。よし、もっと自由に書こう。自信がなくなり、他の人の為書きを見に複数のキャンペーン事務所を訪問したが、数十枚のいろんな政治家の(代理人が)書いた為書きを見て気づく。
 上手い下手ではない。筆遣いがセオリーに則り、中心線さえ合っていると、バランスだけ行頭から行末までの間で微妙に調整できて、最重要は躍動感や勢いさえあれば、一枚にまとめ上げられた力作は、見ていて何とすがすがしいものであるか、と。
 下書きするのを止めた。中心線のみを定規で引き、あとは御心に任す。その方が俄然良くなったのには自分でも驚いた。たとえ下手でも「俺が何とかせないかん」と思ってことに向かうのと、ビビル己をねじ伏せれば、たとえ為書きだって書くことはできる、恥さえ忍べば。
 想いを込めて書き上げた30人前は、いろんな事務所の片隅に掲示されている。
 できれば、一枚全部を自分の書体で書いてみたい。その方がもっと自由に書けると思う。