第1132回 池田市PRイベント MC出演(於)梅田ビッグマン前広場特設会場

 金土曜の二日間、梅田のビッグマン前広場での池田市PRイベントに出演した。
 「池田おたな」は、池田を出(い)でた。これまで丸3年にわたり池田で喋り続けてきた。池田のことを喋るのに、もはや何らの打ち合わせもいらぬ。わかる、知っている。ずっとそれを話してきたんだから。
 いろんな場面でいろんな人々に教えて貰ったことをつないで話しているが、この部分はあの人に、この部分はあの場面で仕入れた内容だと、頭で走馬灯を猛烈に回転させながら3年分のアルバムの頁を繰るが如き楽しい舞台であった。
 いけだサンシーの吉岡君に言った。
 「池田のことは、誰に喋らすよりも、僕が喋りたい」
 がっちり握手した。あなたの気心をよく知った。それが一番嬉しい。僕はあなたに3年にわたり育てて貰った恩義がある。誰も聞いていなくてもいい。この雑踏の中で、あなたさえ僕を解ってくれればそれでよい。
 池田の歴史、産業、文化。知っていることを取り混ぜて喋る。1ユニット30分の尺。のっていく。
 サンシー、市役所、阪急電鉄。落語ミュージアム。学生や社会人の落語遣い。そして、表現舎。いろんなジャンルが手を携えて二日間で6000近くの皆さんに池田市のパンフを配る。
 面白かったのは、梅田駅で「池田市」をアピールしようとする僕らに、池田市民が一様に、「ワシ、池田市民やねん。ありがとう。ご苦労さん」との謝意と労いを下さったことだ。あれには表現舎、涙を浮かべてしびれる。
 梅田駅はさすがだ。ものすごい乗降客がビッグマン広場を通過する。その中に、岸和田での寄席のお客様、西成区のネットワーク推進委員の奥様が家族連れで、アスール幼稚園のお母さんが息子をつれて、見つけた僕に声をかけてくれる。ありがとう、ありがとう。表現舎冥利である。
 学生諸君、落語ミュージアム社会人落語講座の卒業生の方(猪名川亭桜麗姉、猪名川亭鮎之介師)の熱演(あの雑踏の中、脆弱な音響設備で、最期まで折れず、落ちず語り抜いた先達らに最大限の敬意を表する)、また池田呉服座の座主の舞踊、池田逸翁美術館学芸員女史との楽しいコーナーなどの各位のご健闘もさることながら、もう一人、イベントを華やかに盛り上げてくれた立役者のことを触れずにおくことはできない。
 その人は、「フクマル君」である。池田市制70周年を記念して、二年前に池田に出現したキャラクターである。いわゆる流行りの「ゆるキャラ」だ。池田五月山動物園にいるウォンバットをモチーフにした実に愛らしい奴である。よく一緒に仕事をする。
 彼の登場の際、チビっ子たちは堰を切ったように周りに群がり、ママたちは写真を撮りまくる。若い女子学生がキャーキャー言う。僕はほったらかしになる。彼に嫉妬すら感じる。
 「フクマル君」は最近とてつもなく腕を上げた。フクマル君のテーマにのってダンスするんだ。動きも俊敏で、ものすごいステップを踏んだりしだした。感情表現も繊細で息の合った会話(会話対ボディーランゲージ)ができるようになってきた。嫉妬を感じるが実に愛らしく、僕はフクマル君を抱きしめたくさえなる。
 あんなキャラクターを抱きしめたいだなんて、乱坊は性的に倒錯しているのではないかと眉を顰めたあなたの為に言っておこう。
 これは絶対に外部には内緒の話であるが、フクマル君の「中の人」は、うら若き二十歳そこそこの市役所の女性二名が変わりばんこで担当しているのだ。
 この二人が猛烈に可愛い。僕は着ぐるみなど着ないでそのまま池田のキャラクターになればいいと内心思っている。
 彼女のウチの一人はこう言ったそうだ。
 「フクマル君のまま、ずっと出ずっぱりでもいいです!」と。この心意気に表現舎、激しく心を打たれましたぞ。行こう!フクマル君と僕の二人で、関東から北陸、北海道へ手に手を取って巡業の旅に出よう。もちろん、間違いがあってはいかんので、君は夜寝るときも、フクマル君のコスチュームのままでいい。新手のコスチューム・プレi…。おっと、ここまでにしておこう。
 おそらく、この項は、子供たちの夢を壊すな!という市長の倉田先輩(関大OB)から大目玉を食らって削除されることになろうが、フクマル君になりたいと決心した彼女らは、もはや誰かにやらされているのではない。これは彼女たちの仕事ではない、彼女の自分自身の表現である。素晴らしい表現者らである。
 僕は、彼女たちを遥か遠くに仰ぎ見る、無名無才の表現舎でしかないことを痛感した。
 記録する。