僕の周りは不思議に満ちている、今日も、だ。
以前、ある会合で、一人の方に会った。昼勤でのことだ。
マダガスカルの北西地区。ジョゼッペご支援の皆さんの中にその方は居た。
僕はその方の顔を見て思った。
「あれ? この人とどこかで会った。会っている。どこだ、どこで会ったんだ?」
わからない。さっぱりわからない。イライラするほどわからない。
人に会い過ぎている。日に数十人の方と言葉を交わす。顔はわかっても名前とつながらないことは多い。
だが、大体どこの連合や誰の紹介か、家はどんな形だったか、どんなスチュエーションで会ったか、どんなことを話したか、などから糸をたどることができる。
でもこの人は、この事務所へ来てからの脳内の記憶をどんなにひっくり返してみても、会った記録が頭から出てこないのだ。どこで会ったんだ?
住宅地図を、訪問記録を全部見直しても、あの人と会った形跡がない。でも僕はあの人と親しく話したことがある。笑顔が頭に残ってる。おかしいなあと諦めていた。
今日、だ。
お礼参りを終え、三月はジョゼッペ所属党の党員さんに全軒挨拶に行くという次の目標を立て、事務所を出た。
一軒目に行こうと北西部地域を南下していたときだった。
道を向こう側から、誰か思い出せない「あの人」が歩いてくるのが見えた。挨拶しようとハザードを付けて車を止める。
「あの人」は僕の10メートル手前で建物に入った。僕はその建物の前まで車を進め、看板を見る。
「○○タクシー組合…?」
各種団体担当だったときに来たのかなあ、などとツロツロと考えていた。
そのときだった。思い出すというのは0.1秒くらいのシナプスの接続なのだろう。僕は自分の目の視神経から一旦、大脳皮質の記憶倉庫に赴き、一つの記憶の束をひっつかんで脳内の全神経系の中を駆けめぐる(小さい)自分自身を見た。すべてがつながったのだ。
脳内のドーンというものすごい衝撃は、僕をして車から飛び出さしめた。
「あああああああああああああ、思い出したぁああああ」
僕は車から飛び出たものの、シートベルトの端が体に巻きついて、扉を閉められないほどに慌てていた。早く「あの人」に会いたい!
僕はその人が入っていった建物に飛び込んだ。見回す。「あの人」は早くも車に乗って敷地を出て行こうとしていた。車の前に必死で立ちはだかり大音量で挨拶する。
「お世話になっておりますっ!ジョゼッペ事務所ですッ!」
あの人は車を止めてウインドウを開ける。
「ああ、ジョゼッペ事務所の、前に会ったね」
「ハイ!ありがとうございますっ!あのぉー、個人タクシーの溜り場は、心斎橋の御堂筋、三角公園手前のマクドの前ですよね!」
「よく知っているね」
「あの、溜り場の前で1年半ほど前に東京三菱UFJ銀行西心斎橋支店の改修工事がありました!」
「ああ、そんなこともあったかなあ」
「その時、現場の前で第三者誘導警備をしていた警備員がいたでしょう」
「ああ、そんな人も居たかなあ」
「あれは!僕です!今、ジョゼッペ事務所でお世話になってるんですっ!僕はあの時、あなたから『寒いのにご苦労さん』と缶コーヒーを頂きました!」
「そんなこともあったかなあ」
「その節は本当にありがとうございました」
「ああ、そうだったかな。まあ頑張って」
「ありがとうございましたぁ」
覚えてないんだろうな。まあ、そんなもんだろう。警備員は街の風景だ。
僕は、車を最敬礼して見送り、自分の車に戻る。スタートしようとした時だ。僕の前を走っていた「あの人」の車が止まっている。止まって車の外に「あの人」は出て小雨降る中、僕の車を手を振って待ってくれている。「あの人」は大声で飛び跳ねて何かを叫んでいる。近づく。
「思い出した!思い出した!兄ちゃん、あの時の警備員さんか!」
「そうです!あれ、僕です!あれは僕だったんです!」
「ヘルメット被って、青い制服着てた!」
「よく話しました。コーヒーもらいました。寒い冬に凍えて立っていたあの警備員です。あの時は本当にお世話になりました」
「思い出したわー。兄ちゃん、今、ジョゼッペ事務所におるんか」
「ジョゼッペ事務所で、マダガスカルを担当してます!」
「そうかぁー。良かったな。仕事見つかって。ワシもタクシー乗り始めるまで、会社辞めていろんなことしてたで」
「私は今ももがいておりますが、今日、いろんなこと思い出せて嬉しいです」
「兄ちゃん、頑張りや。ワシなあ、ジョゼッペ先生乗せたことあるで」
あの人は自分の名刺入れから、僕の親方の名刺を出すと見せてくれた。僕がいつも配っているやつだ。
「ありがとうございます!今後も何かとお世話になると思いますが、よろしくお願いします」
「こちらこそ。せやけど、兄ちゃん、ほんまに良かったな!頑張りや」
彼はそう言うと、街へ消えていった。また今宵、心斎橋に屯しておられるだろう。
世の中の人たちは、こんなにいろんな人に会うものなのか。何かを気づかせるためなら、僕はここまで頭を殴り続けられる必要はない。わかっている。世の中に、人生に無駄なものは何もない。
あのころの自分を忘れるなという与え給うたヒントである。