第1122回 ギャグ漫画

 18日金曜日。寒くて自転車通勤を控えている。
 北加賀屋地内の南港通り沿いの歩道を、マダガスカル勤務へと駅に向かって歩いてるときであった。
 何かを踏んだ。ヌルっと足が40センチほど水平に瞬間移動した。滑ったのだ。
 僕は「おわっ!」という意味不明の言葉を発して体勢を立て直す。2年にわたり夜勤警備で立ち続けた時代に培った足腰がやっと役に立った。まったく人生に不必要なものはない。
 体勢を立て直すが心臓はバクバクしている。振り向いて見たいのだが、最悪の状況を予測すると見たくない気もする。
 これまで何の気なしに発していた『くっしゃみ講釈』での後藤一山の話中話のセリフが、自分の実感として湧き上がる。
 靴「の裏にニンヤリと御出でたは、土にしては粘りも少々これあり候。犬糞でなくば良いが…。」
 
 振り向くとバナナの皮であった(本当だ!)。バナナの皮が歩道にポイと捨てられている。それを踏んで滑ったのだ。
 アメリカのカートゥーンショー(トムジェリなど)や赤塚漫画の本質ではないジャブのようなクスグリに使われる古典的なシーンである。
 それを大映のスクリーンから飛び出したような21世紀のモートルの貞然に決めて歩いている表現舎が、その滑稽のターゲットにされちまったのである。
 
 おそらく僕の「おわっ!」はフルボリュームの単発であったから、半径300メートルには響き渡り、みながこちらを見た。
 僕は、「こんなところにバナナの皮が!」と誰も言い訳など聞いてないのに、短信で顛末を報告してテレ隠しした。
 
 しかし、こんな人がたくさん通る歩道にバナナの皮をポイと捨て去るとは一体どうした了見であるか。僕は自分が滑ったバナナの皮の横にしゃがみ込んでタバコに火を付けた。なんでこんなところにバナナの皮が捨ててあるのか。
 思い出した。僕はかつてある土地の隣地の所有者に押印してもらおうと東京のお台場に行ったことがある。知ってる人にはわかると思うが、お台場は、感じ的には大阪の南港とよく似ている。
 ゆりかもめ新交通システムで、ニュートラムと扱いは同じだ。中心部からの距離や時間も似ているし、港湾風の街並み(発展の度合いは異なるが)でもある。新開地特有の整備された区画も似てる。
 だが、一点、大きく異なることがある。きれいなのだ。お台場は恐ろしく美しいのだ。
 僕はお台場を見渡して、歩道のブロックタイルの間を割って生えている雑草がないことに気がついた。グシャグシャに壊れた乗れない自転車、何年もそのまま捨ててある冷蔵庫やテレビの山、燃え落ちた軽自動車の残骸、タイヤを全部取られた放置車両などがないのだ。荒廃感がない。比べれば南港はターミネーターの戦場みたいなところがたくさんある。
 なんだ。民度か、予算か、財政か。どうした、住之江区。こんなところにバナナの皮を捨てるなんて。
 僕は深く溜め息をつくと、吸ったタバコを路上にポイと捨てて、駅へ急いだ。



(最終行は嘘だ)