第1117回 池田サカエマチ一番街 鍋イベント MC 出演

 商店街での「かけ流し」である。
 
 「乱坊!今日は何やってん」
 「ああ笑鬼さん、今日は商店街の『かけ流し』でした」
 「お、『かけ流し』か。寒かったやろ」
 
 「かけ流し」という単語が市民権を得てきたように思う。
 イメージは温泉のかけ流しである。ライオンの口から湯がドバドバ出続けるように、7割で声を出し続け、原稿用紙を埋め続ける単調な行為である。単調かどうかは、本人の向き合い方によるが。
 だが、近時、豊能大姉のように打ち合わせで一般民間人相手に「ここは乱坊が『かけ流し』しますんで…」などというのは頂けない。「かけ流し」は符丁であり、家族語や職域方言みたいなもので通じない。それどころか、「まあ、この部分は7割で喋ってますから」と宣言しているようなもので、「適当に力抜いてます」とか、「全身全霊は入ってません、僕は抜けがらです」と言ってるに等しい。まともに説明したら火山噴火の可能性すらある。
 そうじゃない。7割には意味がある。人は発せられてる人間の声を聞くと、それを自然音(セミの鳴き声、川のせせらぎ、風の音など)のように「聞き流し」することができないように思う。意味を拾ってしまう。
 自然音のごとく、バラ寿司にふりかける酢のように、BGMのように聞こえていれば良い。それが賑わいの創設となる。
 また万一、意味を拾われたとしても、ご不快にお感じにならず、少しく微笑んで「聞き流」せるものであり、あるいはその場で情報が欲しくて「聞き込まれた」ときも、ご案内の要点、イベントの概要が薄く乗ってるというギリギリのラインであるべきだ。
 この意味で情宣の直角曲げをもくろむ際の「お声掛け」とは本質的に異なっているように思う。あれは対峙できる25秒ほどのうちに「あ、なんか面白いことやってはんねな」と思わせるように、頭蓋を開いて大脳皮質にステンのヘラを突っ込んで、ヘラで開けた隙間にチラシを挟んで帰ってくるような勢いがいる。
 最近気づいたことでもう一点。「かけ流し」は必ず開放空間(商店街やイベント会場)で行うべきものであって、閉鎖空間(宴会場や室内など声が逃げない場所)でやるべきことではないので注意を要する。
 
 11時声だし、16時にマイクを置く。鍋イベントで腹一杯食う。三歩師令夫人とも面談し楽しきイベン…、と言いたいところであるが、いかんせん寒い!寒すぎる!もう気分が悪いくらい寒くて、魂が盛り上がってもないのにクールダウンしまくった。精神の低空飛行だ。
 
 この日は、れもん亭なび嬢(18)との同板であった。本日誌にも前出の彼女は放送部出身の才女である。天寧、まつ梨の同行もあり、打ち上げは4人で。未成年者ら3人はあれだけイベントで鍋を食ったのに、大焼きうどん、焼きそば、モダン焼きを3人でぺロリと食う。
 僕は豚玉、焼酎3合。なび嬢に明日の改善点を一点伝う。