第1116回 某事務局での某地区後援会「新春の集い」(於)某宴会場

 差し支えがあるといけないので、表題は某、某、某と、まるで春の衣更えの季節に吊り革を握る油断したOLの腋みたいになっているがご了承を賜っておく。
 
 これは近未来の話である。といっても5世紀ほど後のことでないとつじつまが合わない。太陽系に人類が進出し、銀河に存在する他星系の知的生命により構成される銀河連邦に参加するのに2,300年ではできそうにないと思われるからだ。
 
 このお話の舞台はマダガスカル島だ。一院制の銀河連邦議会の地球選出代議員候補・ジョゼッペ・グリマーニ元空軍中将のキャンペーン事務局での話である。
 
(この設定における詳しいことは過去ログを参照願いたい。以下に彼を散見することができる)
2006-09-29 第3回 新製品
2006-10-07 第11回 AJI
2007-03-23 第170回 上申書
2008-06-06 第463回 「AJプロジェクト」
2008-12-23 第648回 炎獄屋騒動
 ジョゼッペはエライ出世したことになる。
 こう設定しておくと、かなり冗長となり、読者の大半を篩にかけることができる利点がある。みな最期まで行き着かないから、わりと自由に書けるのだ。本ブログが意味もなく冗長なのには実はこうした訳がある。
 
 僕の昼勤でのことだ。こないだの年末頃であったか。首都アンタナナリボの繁華な通りに面する事務所で、僕はフランス人の上司から言われた。会話はすべてフランス語だが、ニュアンスを日本語で書くと次のようになる。
 
 「乱坊ちゃん、君の担当地区内であるマダガスカルの支援者を集めて『新春の集い』をやって下さい。」
 僕はバシッと言った。
 「わっかりましたっ!お任せ下さい!…で、その『新春の集い』って、一体、何なんですか?」
 さっぱり解っていない。すべてはここから始まったのだ。
 
 着手しようとして絶望した。何から手を着けて良いか解らん。とにかく5000マダガスカル・アリアリ(MGA)を取ってパーティーをしろということだ。日時と会場だけは決まっていた。
 「聞きたいことが解らない」という最悪の状態だ。系統立った引継などなかった。キャンペーン事務局でも僕の担当するマダガスカル地区単独で行う「新春パーティー」は前例がないということだった。手元には階層構造(役職)表記のない人名列挙の名簿があるだけだ。前任者は次なるステージ(マダガスカル州代表者会議の代議員立候補)に向かって自身のキャンペーンに邁進忙殺されている。そして愚鈍者たる僕には「何とかしなければ!」という焦りしかない。
 吐きそうになる。こんな正式イベントをポンと一パートタイマーに委ねるのだ。チャレンジャー過ぎる。試されているに違いない。
 とにかく皆さんにチラシでお知らせせねばならない(5世紀後でも手段はチラシしかないだろう)。島内の有力者に出席者を集めて貰うお願いに行く。が、マダガスカルの地理には不案内である。ブラインドタッチで操作できるくらいに宛がわれた車のナビには習熟した。
 不慣れによる不行届きは山盛りあった。幾人かのジョゼッペ支援者の方に叱られた。すべては皆さんからのジョゼッペ・グリマーニへの愛である。ポッと出の一パートタイマーが介在して迷惑をかけることはできぬ。必要とあらば土下座するつもりで謝った。
(同僚のT君には随分と愚痴を零した。僕は君との沢山の相談が有ったから、最期まで行けたと思ってる。ありがとう)
 
 途中から思うようになった。これを人の会、ジョゼッペ親方の会、適当にやり過ごせばいい業務だと思うのはやめよう、と。「やらされている」と思うのをやめた。
「なりたいもの」となるように、これを「そうありたい会」にすればいい。どうありたいか。そうだ、これは僕の会である、表示はせぬが「表現舎乱坊の会」と考えて、やろう。
 こう考えると、すべては自分の責任であり、理不尽な状況ではなくなる。必死でお願いをする。謝る言葉にも力が入る。パラダイムが激変した。フランス人上司やジョゼッペ親方の何気ないねぎらい、事務所同僚の心温まる言葉の数々、お忙しい時間を縫って送信されてくる前任者からのアドバイスメール、そしてジョゼッペ親方を支援者して下さる皆さん方からのお申込みの連続。
 集金に行って訪問先を出て、天を仰いで何度感謝したか解らない。僕の力ではない。歴史とジョゼッペ親方の力であるが、そこに介在できる喜びを感じて車で嬉しくて泣いて次へ向かったこともある。
 「人と人の間に端境はない(主客一体時空共有)、常に神とともにあるという芥子粒ほどの信念(あり得べからざる妙と不思議から得られる)」。これらは本業たる表現舎での言いであるが、昼勤も全く同じことが言えるのだ。実に「すべての人はすべての場面で表現者になれる(人一切皆表現者)」という確信を絵に描いたような日々の連続であった。
 告知・回収、入力集計もさることながら、配席は本当に苦労した。演者演順の検討…。僕は「自分の会と思ってやろう」を一歩推し進めてみた。即ち「ホントに自分も出演してやろう」と考えた。恐る恐る「余興のコーナー(無くても成立する)」に「ジャンケン大会」を提案した。
 ジョゼッペ親方とお客様がジャンケンして、「心を一つに合わせる」という本会の主旨を鑑みて「あいこ」の人が残っていく、というルールにした。負けた人のゲームへの集中を切らぬよう「最終まで残ったあいこ者3人がいるそれぞれの卓に座る人全員に景品がある」ことにし個人参加のテーブル対抗戦形式にした。
 景品。3位の卓の皆さんには「今後も暖かくご支援頂きたい」という願いを込めて入浴剤を、2位の卓には「今後も蜜月のような甘い関係でいてほしい」という想いを込めてお菓子を、最終あいこ人個人には「末永くご健康にご支援下さい」と電子体重計を、そしてその方がいる卓の皆さんには「今後も長くご支援頂きたい」として北陸蕎麦をプレゼントすることにした。ちなみにこれらはキャンペーン事務局にあった品物を前夜必死でこじつけただけだ。
 このコーナー司会を素人にふるのは恐ろしい。専業でも失敗するかもしれん、その時は静かにキャンペーン事務局を去ろうと考えていた。
 当日の午前、ジャンケン大会で使用する大きな(50センチ四方)ジャンケンボードの作成に専念した。もう手作り感満載で本番に望んだのである。
 
 開演前。受付は顔と名前が一致しない新米のつらさ、マダガスカル中の各エリアの方々にもお手伝い頂いたが、一時に来られるお客様に僕は少々パニクった。が、事前の申込段階での入力した事務処理にはほぼ誤りはなかった。ホッとしている。当日来場、欠席、お客様の座席移動などの対応を会場のご担当U氏は次々に気を回し対応してくれた。
 
 司会をお願いしたYさんは、僕の切なる、悲鳴にも似た依頼を受けて「解った」と一言、僕との同板を引き受けてくれた。三年来、この事務所で共に汗した方だ。途中、酒をつぎに数卓を回ったが、僕は感謝の気持ちとともにほとんどYさんのそばで手元役をした。勿論、司会はフランス語だ。
 
 18:00開演。270名になるなんとするご来駕を受ける。AからZまで26卓をマダガスカルの北から南へエリアと申込みグループで定数になるように配席計画を立てたが、まるでパズルをしているようだった。
 当日までにお願いに回った重鎮の皆様は、順次その演順を勤め上げ次第は進行する。
 18:50、10分押しで乾杯、お食事ご歓談で野放し。料理の出と酩酊を鑑み若干の時間調整を行う。この日までにお叱りを頂き、様々にご教示頂いた皆様に感謝のご挨拶に伺う。
 19:40、10分押しで「ジャンケン大会」登壇。ジョゼッペ親方を引き上げ、皆さんとお心を一つにあわせて頂く。酒席最後半、各卓の26円卓。大嫌いなパターンだ、仕事なら受けないであろう。会場は酩酊と懇親で荒れに荒れ、グワンと唸りを上げている。
 先ずは自己紹介。本日のお礼、ルール説明。そしてここからは「表現舎乱坊」である。名乗ってはないが、商用経験を最大限活かす。空間をグリップしようと爪を剥がしながら、めぜすは「主客一体」。高額な有料公演だ(僕は平素の時給だが)。汗が滴り落ちる。
 喋りながら思う。会場全体が見えている。遠方の各卓でゲームに興じている人が見える。隣と談笑を続けている人もいるが、勝ち続けている同卓者を応援している人がいる。酒席で切れている糸も随分多いが、繋がっている糸が見える。ありがとう。ありがとう。
 ジョゼッペ親方は、僕が作ったジャンケンボードを嬉しそうに揚げ続けてくれている。ありがとうございます、機会を与えて下さって。僕が一体何者なのかを時間と手間をかけて思い出させて下さった。
 景品を渡しに同僚らが卓に伺うと、テーブルの皆さんから歓声が上がる。皆さんは自分達でご自身のお心を開いてご愉快にお過し下さった。毎度の如く、僕は御業(みわざ)の傍観者・立会人、生き証人でしかない。
 ジャンケン大会は270人で行う場合、あいこでも3分の1の確率だから、90、30、10、3、1と理論値では5、6回で1を切ってくるはずだ。お飽きなさらぬように詰めて進める。
 20:00追い出し開始が、某会場ご担当U氏との、男と男の、かつまたプロとしての請負だ。19:55、景品ご配布を含めて15分に収まった。「お心を一つに合わせてのジャンケン大会のコーナーでした!」尻バネにあげて降壇。コーナー計画上のジャスト・スジャータ頂きました。
 中締め発声頂き、司会の閉会の辞終了で20:01(僕の時計は2分進めているから20:03を表示していた)。
 
 ジョゼッペ事務局としてこの新春の集いが成功であったかどうかは、僕が判断することじゃない。コーナー以外は何とかワカランなりに形になった程度だろう。
 ただ、今回のイベントは、僕の中で表現舎と昼勤が合一する様を見た。コーナーの舞台だけじゃない。お一人お一人と玄関口で、応接で、電話で、ありとあらゆる意思の伝達において「すべての人はすべての場面で表現者になれる(人一切皆表現者)」。
 己を晒すに躊躇いはない。けだし人と人の間に端境はなく(主客一体時空共有)、臨在の妙と導きの中にあると信念を得たからである。
 僕はこれらの理解の門口に佇む初学者たる表現舎である。とにかく翌日から出席者、ご関与頂いた皆さんにお礼参りに伺おう。人生でこれほどお礼を言いたいという気持ちになったことはない。
 マダガスカル万歳。