第1112回 この世に居ながら極楽が見えていた人

 僕は偶然にも、笑鬼オジキの以下に記すご葬儀に参列焼香することができた。世話になった。真心をこめて手を合わしてきた。

 以下、引用を開始する。
 
 「家の近くに『作ちゃん』と言う歌える居酒屋が去年までありました、(中略) ここのおばはんが昨日亡くなりました。
 名前が『●●作(転載者により名字を伏字)』で通称作ちゃんです、店の名前も作ちゃんです。
 夕方6時から夜中5時まで年中休み無しです、毎日昼から仕込みをして店も一人で切り盛りしてました、(中略) もうちょっと呑みたい時に行く、歌いたい時に行く、夜中やけど呑みたい時に行く、何せ家から3分の居酒屋やから。
 僕の身内は勿論、落語大学の人間や僕の友達はみんな行ってます、4年前に僕が落語を始めてからは、近い寄席は必ずタクシーでお客さんを連れて来てくれました。
 近くの商店街で落語会をした時、『ウチの嫁さんに用事があって打上げの準備が出来ひんね、4時から開けてぇや』『かまへん、私がしたる』とおばはんは二つ返事。
 僕等が落語をしてる間に作ちゃんは、何とウチの家で『鍋と刺身』の用意をしてくれました、『一人千5百円でええわ〜4人で6千円』その用意はどっから見ても8人前はあり、2万か3万掛かってるのにそれ以上金を取ってくれへんおばはんでした。
 後輩も可愛がってくれました、桂三象を店に連れて行った時に気に入ってくれ、店の一番ええとこに三象のサインと写真、横に一枝姉さんや唐渡さんです、写真入りマグカップも置いてくれてました、三象のミナミでのリサイタル、尼崎の独演会もお客さんと来てくれました、三象の会は夜ですから、その日は店の開店を遅らせて見にきてくれてるんです、終わるとすぐにタクシーで店を開けに帰るようなきっぷのええおばはんでした。(以下略)」 
 無断引用元 関大亭笑鬼著「近くの他人」(2011年2月1日付mixiブログ)
 
 十巣師が、全編8分の「たわらぼしげんば」を絶唱し、そのあまりのネタの繰れ具合、完成度に、彼を師と仰ぐ後進らがハラハラと落涙したのは、この店だった。
 本文中、「近くの商店街で落語会をした」とあるのは、服部阪急商店街・落語道場であったと記憶している。確か僕の「はてなの茶碗」の初演に近い頃であった。そのうちあげの料理でも世話になったのだ。
 僕自身も舞台を見て頂けたかもしれぬ。三象さんのミナミのリサイタルはミュンヘンでやったやつだろうか。作ちゃんの映像が残ってる。
 ずっとオジキの親戚のおばちゃんだと思っていた。いい人だった。楽しい陽気なおばちゃんだった。
 ご縁があったから出会うた。住んでる所は知らなかったのに、なぜかご葬儀に参列する巡り合わせとなる(どちらかというと葬儀の存在を知って時間と場所を調べ行ってみたら、なんとそれが作ちゃんだった、という方が現実の姿に近い)。
 この人とも後に必ず、再び違った形で出会う人の一人だろう。しばしの別れである。