第1097回 池田おたな界隈 引札寄席 「おたなで戎さん」 出演

 10日祝日。引札寄席に出演する。
 
 番組
 司会 表現舎乱坊
 隣乃玄張 「阿弥陀池
 千里家やん愚 「天災」
 爪田家らいむ 「太鼓腹」
 大喜利 先生乱坊 生徒阪大関大学生12人
 表現舎乱坊 「蛇含草」
 
 お客様に泥酔者がいらっしゃった。呉服神社十日戎でお神酒を召し上がりご来駕賜ったものかと思われた。
 「諸君!がんばれーぃ」
だの
 「ワイは住所、大阪やー!」
などの相の手をトップの司会から入れてくる。大喜利などは「ワイも答えるーぅ」などと絡みついてくる。
 「ワチャー、これどうなんのよ」と心配したが、面白いことに気がついた。
 この泥酔者はたくさんの言葉を発している。しかし、実は、落語の間はこの方、一言も言葉を発せず、じっくり噺を堪能しておられるのだ。居眠りもせず、しっかりお聞きになられて、司会と大喜利で声援を送って下さる。この方は、単なる泥酔者でないことに気づくのにさほどの時間はかからなかった。
 大喜利などは、先生・生徒入れて13人に、もう1名、天真爛漫にこの寄席をお楽しみになる泥酔者の相の手で、14名掛かりでやっている不思議な空間になる。邪魔じゃないのだ。他のお客様方も当意即妙な13名プラス1のやりとりを随分楽しんで頂けたと思う。
 いい雰囲気に華やかに盛り上がり、あまりの寒さに心を開き難いお客様がお心を緩ませる不思議を見た。
 確信する。あの方は単なる泥酔者ではない。しらふで泥酔を装う芸道者か、お心をお開き下さる平素の御業のご貸与が形となって現れた神聖な何かだった。ともかく彼は単なる泥酔者ではない。感謝する。
 僕が表現舎を標榜していなければ、彼を単なる乱入者とみなしてセキュリティーに対応対処させていたかも知れぬ。
 時折、生活にかまけて、自分が何者なのか、何をしにこの世に来たのか、何になりたいのかを忘れてしまうことがあるが、毎回の舞台にもたらされるこれらの妙を徴ととらえる感受と感謝を持ってその場に臨めば、すべてのことは思い出だすことができる。