第1090回 仕事納めと本年のダイジェスト

 平成22(2010)年12月30日木曜日。表現舎としての仕事納めを既に終わっている僕は、隆宏として本年度のノンストップパワープレイが終わる日であった。
 将来の自分よ、思い起こせ!44歳の年末年始は31日から正月2日までお休みを頂き、3日から倒れるまでのエンドレスとなる。働くのではない。感じるんだ、導きを。金のためではない、すべては表現舎に見せ給う不思議である。
 
 本年最終の書き込みを迎えるに当たり、表現舎としての本年をダイジェストで振り返ってみたい。引用を多用する。総集編的扱いである。

 仕事納めは印象深い一日となった。「かけ流し」であった。
 「お、お前、まだ、マイクを持ってかけ流ししているのか」と思うた読者のために書いておこう。僕がかけ流しているんじゃない。社長が、だ。僕の社長がかけ流ししている横で、僕はハンドルを握って車を運転しているのだ。象徴的な最終日であった。
 
 三年前からお手伝いした。あの頃はひどい生活をしていた。当時の所感を引用する。
 
「僕はもはや若くはないが、口による表現活動を仕事と称して差し支えないなら、今、3つの仕事をしている。まさに昼夜関わりなく仕事をしている。頭脳労働と肉体労働だ。『ホワイトカラー』の仕事と、夜勤の配送センターの荷卸作業という『ブルーカラー』の仕事、そして表現舎は『白』と『青』の中間、ま、『水色』カラーってなもんだろうか。すこしでも表現舎である時間を増やしたいから『白』と『青』をなりふり構わず行うているが、殊に『青』などは僕には想像を絶する重労働で汗みどろになる。最近は体が慣れてきた。やりたいことやなりたいものがあるというのは物凄い力を発揮するものだと驚かされている。」(第1049回 西成区社協いきいき元気教室 北津守老人憩の家 出演)
 
 夜勤は脱出したかった。導かれた。引用する。
 
「そればかりではない。もう夜勤は堪忍してほしいと思っていたら、主席、次席、三席から、こちらが何も言わぬのに『ここで頑張ってみたらどうか』とお声がけを頂いた。表現舎としての諸活動は出るが、あと残された時間は、人生で一番苦しい時代に導きをもって機会を与えてくれた彼らに最大限恩返ししたい。これはCHUHAI君を発端として3年前に始まった人間関係である。なぜか馬が合い今もここにもいる。」(第1086回 堺福音教会アルパ 奉納演舞 「今日から ― 」)
 
 僕は社長とじっくり向き合ったことは初めてだ。気さくな方だ。自分が親父と仕事していた頃のように、この人を親父と思い自分の割ける時間はお手伝いしたいと思う。この方と出会えたことも導きである。
 
「出会うはずのない人と出会い、数奇な沢山の人の接続を以て僕に機会が与えられる。非才にあえぐ僕を追いかけて下さるお客様の一言、娘の何気ない言葉や態度にも実は神聖な意味がある。ランダムに道端に置かれてあるように見えながら、本当は何かの脚本に従って、筋書きに沿って事態は進行しているのではないかと考えざるを得ない状況である。」(第1049回 西成区社協いきいき元気教室 北津守老人憩の家 出演)
 
 僕は僕で現下なりたい自分がある。表現舎である。
 
「お便所休憩の折、一人の男性が、『独りで暮らしてたら一週間くらい一言もしゃべらへんことありますねん。先生言うように姉の家でも行ってもっともっと人とお話しすることにしますわ』と自席で立って表明して下さる。この方のお心にお働き下さり、彼がなりたい自分への歩みをお始めになられるとしたら、それは神のお力による後押しであり、取り次げた栄光に感謝する。おじいさん、僕も同じ思いですよ。」(第1046回 阿倍野区王子サロン 王子福祉会館 出演)
 
 表現舎とは、お客様と主客を一体化させて頂き、今生きる時空を共有するという状態の妙を感じることである。
 
「特に愛無き(おもしろみも、かわゆげもない)凡夫たる僕に恥をかかせ続けながら、偉大な理想が真実であることを確信させるために、見えざる手により総勢数千人ものお客様を日々ちょっとづつ動員して行われているこの壮大な実験は、僕にとって、表現のための階段最初の一段目であることだけは確かだ。そこには『さあ、恐れることなく自分を晒してこい』と書いてある。」(第1028回 アルパに再び)
 
 仲間がいる。幸せである。
 
「我らのクラブの部是は、再三に本誌に記してきたが、「落語を媒介とした人間関係づくり」である。人間関係は部内関係者だけではない。25年経って解る。さまざまな帰属する団体に我らを社会人落語者と解ったうえで起用して下さる共鳴者の皆様、および共に時空を共有して頂くお客様皆様との(瞬時の)人間関係をも含む。
 我らは、尊し敬するプロの名人上手の名演に酔い憧れながら、凡夫(プロの反対語)なりに、マンツーマンで、あるいは袖や客席で見た同僚演者の舞台の所感を述べ合い、時々に気づいたことを胸倉掴みぶつけ合う、表現者らの有志であって、自身と互いの成長を念じ、お客様との神聖な時空を共に共有しようと試みる手段として、社会人として落語に接している。
 みな仕事などほっぽらかしで落語に勤しむ姿は、色んな意味で社会人落語者という尊称卑称がごったになった立場として、なりたい自分の姿を目指して、恥をさらし明日への糧と為し、あるいはお客様との僅かな糸が繋がった喜びをまた明日への糧と為して進む。」(第1020回 矢田北地区敬老会)
 
 そして常に独りではない。これは舞台だけではない。日々の生活全般に言える。
 
「舞台に居るのは決して魔物ではない。舞台は神の気に満ちている。我々に何事かを伝えようとする創造者、同伴者の気に満ちている。」(第1020回 矢田北地区敬老会)
 
 最後に娘らに言っておく。本誌報はこの為に書いている。
 
「みんなが自分のことをわかってくれるなどと思うのは傲慢で幻想だ、1万人に当たって2人くらいが君のことを解ってくれればよいと知りなさい。また言っておく。今、一緒に暮らしていても、いなくても、父はつねに君の傍にいる。」(第1022回 小石歯科「手水寄席」 出演)
 
 今年一年ありがとうございました。
 どうぞ皆さん良いお年をお迎えください。
 僕も家を掃除して、ひと足先に行ってる家族の待つ実家へ帰ります。