第1082回 西区社協いきいき (於)靭本町会館

 16日木曜日。20名110分。
 以前からご担当者様から方々言われていた。
 「ここは『いきいき』ご利用の方が少ないので3、4人だと思います。すいません。」
 謝ってもらうことなどない。たとえ少なくてもやることに変わりはない。乱坊とご愉快な時間を共有して頂くだけだ。少なければ少ないで、お一人お一人をクローズアップしてみたりして結構楽しめる。スカウトで言い古した「雨もまた楽し」とはこれであろう。
 そこには連合の女性部長などの重鎮の奥様がいらっしゃっていた。落語だから出てきたら、とお声をかけて来て下さったそうである。するとワラワラとお客様のご来駕。スタッフ皆様を入れると25名ほどになって頂いたのだ。ありがたい。
 僕は最近やっとわかったことがある。
 僕の田舎では、自分の家を含む「班」という最小自治単位があり、小字の自治単位を「自治会」と呼び、小学校区毎に「連合自治会」があった。
 今、住之江に住まいして10有余年。マンションの管理組合の理事をやったことはあるが、それも数年に一度回ってくるだけで、大阪では上に言う自治組織の階層構造を目にしたことがなかった。
 最近、お昼の仕事や区社協の事業で連合の会長さんを見かけるようになった。大阪は「自治会」を「町会」、「連合自治会」を「連合町会」、これを略して「連合」と称するようだ。
 「○○連合のトップ」などと紹介されると、僕の頭の中では勝手に、金髪モヒカンにハデハデしい装束でバイクにまたがる暴走族を想像してしまうんだが、概ねご高齢の落ち着いた紳士であり、ホッとする。
 
 「今日から使えるー」、「河豚鍋」。全席を75分に収めて茶話会15分で90分のはずであった。
 高座は75分をジャスト・スジャータで完了。楽屋で素早く着替えて茶話会に合流。茶話会は別に出なくてもいいのだが、皆さんと色々お話すると思いがけない貴重なお話や思い出をご披露頂くことがある。だからなるべく出ている。この日もそうだった。
 今日の会場である会館を含む「靭公園」は、子供たちを連れて遊ぶには最適で、これまでも本誌報に何度か登場している。この公園が飛行場であったことをご存じであったろうか。
 もともとは他の町域と同じように通りがあり、家々が密集し、靭中二町会などの人々の暮らしがあった。戦後、米軍に地域全体が接収され、一面整備され長らく飛行場として使用されていたそうだ。
 占領が終わり日本国に返還されるにおいて、地元からこのままの区画で一帯利用してほしい、との要請要望が上がり、現在の靭公園となったということだ。
 接収される前に現・公園内に家があった奥様は、今でも公園のどの辺に通りがあって、家があったかを指をさして説明して下さる。思い出話に花が咲き、終了時間が大概伸びた。
 彼女らの思い出話にお付き合いできた喜びを、神に感謝する。