第1063回 茂八君カータン女史ご夫妻ご結婚2周年記念の夕餉 来賓出席

 こんな日が来るんなら、先に少し伏線をチラ見させてくれても良さそうなもんだろうに、至高者はまったくも小粋な計らいを為さる方だ。
 かつて彼が荒れるのを僕は至近距離で立ち会った。見るもの、触れるものすべてに突っかかっているようにすら見えた。貞次郎とはきっとこんな男だろうと心底思った(この経験は後の油屋への憧れに自身が近づく契機となった。後にいう自人格の浸出と他人格の摂取の境界事例だ。
 僕らは上下を超えて罵倒しあい、また逆に彼のピュアな精神に触れ感嘆もした。僕は、彼は一体どこへ行ってしまうのかとの随分不安になったものだ。
 しかし彼はどこへも行かなかった。さすが誇るべき僕の友人十傑に入る英雄である。いろいろあったが彼はその場に踏みとどまり戻ってきた。
 彼の半生のタイムラインを記し壁に貼った模造紙に、僕は、彼が荒れに任せているように見えた頃と今との間を区切る明確な一本の太い線を引くことができる。この線が、彼のご妻君「かっぱのカータン」のご登場である。
 これは、彼女が単に往年のかの子供番組「ロンパールーム」に出てきた「かっぱのカータン」に似ているからではない。カータンは子供たちが黒板にチョークで書いた訳の解らぬ落書きを、上手くつないで一つの絵に仕上げる名手であった。彼女はまさにそれなのだ。
 くしくも我らの盟主・笑鬼会長の令夫人、智子女史は、ズタぼろに酔い潰れる僕ら社会人落語者らにこう言い放ったことがある。以下の記録は歴史的発言の原典の文意を忠実に温存するため発言のそのままを表記する。記録者にも発言者にも全く他意はないことをご了解願いたい。
 「おまえら、みな、結婚生活のかたわじゃ」
 全くだ。何も言いかえす言葉はない。ある意味、僕の周りの社会人落語者らは見事に家庭人ではない。いや、見回すと、みな、むちゃくちゃだ。やりたいことを自由にやり放っている。
 その私利滅裂に見える我らが放つ、何か落書きのようなものは、普通、書いている尻から同居人から黒板消しで消され、修正され、あるいはチョークを取り上げられる。または黒板のある部屋から出て行かれそうになる(→これ、僕)。本当に出て行かれた人もいる(→あ、これも僕ね)。
 少なくとも、自分の中では筋が通っていることでも、その筋を説明しようと試みると、同居人により完膚なきまでに黒板もチョークも叩き潰され取りつく島もないのだ。まさにわれらの自宅は、ロンパールームならぬ「論破ルーム」と化し、多弁な僕らは言論を封殺される。これが一般的夫婦像だ。異論はないだろう。
 どころが、茂八君・カータン夫妻は異なる。互いの話を言語を介して理解しようと常に務め、午前二時三時まで芸、クラブ、社会などを話し合うという。茂八君の広範な知識や思想信念を寸分漏らさず両の手に受け止めようと楽しんでおられるようにお見受けした。カータンは彼の脳内のシナプスのノードをうまくつないで彼を最大理解しようと務める真の「かっぱのカータン」なのだ。機能がカータンなのであって外見が「カータン」に似ているのではない。でもちょっと「カータン」に似ていなくもない。いや、よく見ると生き写しだ。
 結婚2年を記念して僕と来舞兄の二人を来賓として自宅に招き、手料理で礼節を尽くしてくれた。カータンご飯旨かった。ありがとう。茂八君ありがとう。したたかに酔った。愉快な時間であった。
 君はくぐり抜け喜びに満ちている。僕はいまだ道を求め暗闇をもがき進む。君は何度も本誌報に記すように、これまでも、これからも僕らの行き道を照らす灯台だ。灯火たれ。お二人の生活が末永く幸多かれと祈り、これからも君の定点観測を続けよう。