第1057回 塩田直樹君・吉行那穂子さんご結婚披露式および祝宴司会進行 出演

 塩田君は、竹中工務店の大阪南部FMセンターに勤務する青年監督である。彼と人生を交差させた経緯については、本誌報の過去ログに詳しいが、再度、振り返る。
 その人となりや、明朗。泰然として而して礼節を知る。関より東は江戸川の畔で育った野球少年。付き合うて気持ちよき漢である。
 彼と会ったのは数奇なめぐり合わせによる。
 啓示を受け、私が以前の人生を捨て表現舎へと再生したとき、生活はたちまちに困窮した。赤貧を洗い続けると色落ちして、以前、貧が赤かったことすら忘れてしまうを知る。火の車はすでに焼け落ちその芯の鉄棒のみがカラカラと回り、火を灯した爪は燃え過ぎてすべての指が深ヅメとなった。
 妻が、いつ入るやわからん仕事を待つため昼間を空けておこうともがく私に、「ほたら夜は空いてるわなあ」と、笑顔で(実に、私を試すかのような不敵な笑顔で)手渡したのが、「警備員募集」と書いた求人フリーペーパーだった。
 むっとした。マンション分譲事業でプロジェクトマネジメントを行い、設計や施工会社、近隣と責任者としてやりあっていた私に、警備員に行けという妻の言いは、誰にも認められぬ無名で無才の表現舎に、「お前は本当に人生を賭してでも『表現舎』になりたいのか、戻るなら今しかないぞ」という最後通牒に聞こえた。立ち位置のジェットコースターだ。
 私は妻に、「確かに君のいう通りだ。行ってみよう」と答え、1年という期限を定めて、妻を通じた導きに委ねた。
 この選択ができたのは、困窮もあるが、崇拝する我が師・十巣の小父貴が警備員をやっていたのも、ハードルを低くするに役立った。師に見えているものが何か輪郭でも見えるかも知れん。
 また警備会社を受けるにおいて、「帝国警備保障(現・テイケイ)」という旧社名が、私をして意気に感じさせたところはある。日本の準軍事団体であるボーイスカウトを小学校から大学まで続けた私にとって、ウィキでみた会長の高花豊氏の経歴は面白いものに見えた。
 面接は、竹田氏という面白い人であった。公立大学を出た秀才で、これまで周りにいたジャンルの人に見えた。彼は私を可愛がってくれた。今も、あの人とは一度酒を飲みたい。
 初任者講習を受け警備員となる。出会ったことがない人たちが山盛りにいた。入ってびっくりした。駒なのだ。「私」がそこに行かなければ、とか、誰かと「私」が話しなければ収まらないと信じて、独り社長で一匹狼で仕事をしてきた者にとって、そこに「立っているのは誰でもいい」とみえた世界に愕然とした(これは後に誤りであることに気づく)。
 一年、様々な現場に行かされる。基本、文句を言わず空いてる日はどこへでも行った。自分で決めた一年の満期が終わるその日(実に満期の日だ)に、前述の竹田氏は言った。
 「高野さん、竹中工務店の南部FMの一人現場があるのですが、行きませんか」
 扱いは職長だ。金は変わらん。竹田氏が私に声を掛けてくれたことがうれしかった。十巣小父貴に相談した。すると彼は言った。
 「君は、何を、昇進しているんだね」
 昇進しているわけではないんだが、二人で笑った。やりたいことがあるからやっているのだ。それを忘れているわけではない。ここですべてを忘れて埋没するわけには行かぬ。
 しかし私はこれを請けた。竹田氏の声がけに応えたいと思ったからだ。
 そこで出会ったのが、今日の主人公・塩田君だ。出会うわけがない。
 私の結婚式の司会は、都合20回くらいしか経験がない。結婚式の専業ではない。しかし今日のは人生で最高にハラショーな会となった。
 開始直前、キャプテン(頭のいい人だった)と、このままでは2時間半の尺に収まらぬことを想定し、演順を変更して間を詰める方法があることに気づく。花嫁の承諾、演者の承諾を得て変更。その30秒後声だし開始。
 大閣苑のリュクセレという会場は大きさ、配置などが実にやりやすい。
 私は3回くらい隠れて泣いていた。私は涙もろい。
 大閣苑のスタッフの皆様、殊にキャプテン、音響照明動画の担当各嬢、カメラの女史にお礼を言いたい。演者として出てくれた皆さんに協力を感謝したい。小中の両友達の皆さんにも礼をいう。ご両家親御様、竹中工務店の皆さん、ありがとう。

 私はうれしい。いい会だった。新郎新婦、ご両家親御様にとって思い出深い会となれば表現舎として最上の喜びである。
 ご出席の来賓、ご友人から楽しい会だったとお誉めを頂く。ここで言っておく。あなたがたの祝意が会をしてすばらしいモノに仕上げたのだ。いつも言うように私はそこに居合わせた傍観者、立会人でしかない。あなたがたは最高に盛り上がっていた。会場が神の気に満ちていたのを冷静にしらふで見届けた生き証人である。
 
 なぜなら表現舎、本会では一滴もアルコールを飲んでいないのだ。盛り上がって、誰もビールを注いでくれなかったのだ。コップはあったのに!

 塩田君、那穂子さんおめでとう。現下、経済の逼迫により過分な祝儀を渡せぬ私は、この友人司会を以てお二方への祝儀とする。
 今度、竹内監督や上枝監督と必ず君の新居に行く。そして私は思いっきり鶏鍋を食う。ポン酢はミツカンでいい。焼酎は持っていく。
 
 長文になって申し訳ないが、最後に、このご婚儀司会が他の仕事と重なり困ったときに、
 「ほかを全部をスッ飛ばしても、友人の司会に行くのが、義に生きる表現舎の生きざまと違うんか」
と、快く重なった仕事の代演を引き受けてくれた関大亭笑鬼師に最大限の感謝を申し上げておく。
 あなたこそ、私の義の師である。あなたの弔辞はきっと必ず私が読む。