第1049回 西成区社協いきいき元気教室 北津守老人憩の家 出演

 先年はちょうど一年前、北津守に来ている(2009-10-21付「第841回 西成区北津守」をご参照されたい)。午前の仕事を早退して阿倍野から北津守へ。
 ここは大変盛況で50名ほどのご来駕。この北津守はお客様のノリが尋常ではない。会場は熱気に溢れている。ご反応もすこぶるよく、いつも話している「今日から使える笑いの力」は約30分用にまとめてあるのだが、のせられ、のって、45分ほど。お手洗い休憩をへて10月のヘビーローテーション「蛇含草」。終演は6分押しであった。記録しておく。
 
 終演後の茶話会に参加した。たまたまである。どこに座っても良かったんだが、たまたま隣に座ったおばあさんが話しだす。
 「私はね、若い頃、生きていくのに一生懸命で3つ仕事を同時にしていたのよ。昼も夜もそれこそナリを構わず働いたの。今振り返ってみると、あの頃は自分にとっていい時代だったと思うわ。乱坊さんにとって今がいい時代となるように、頑張って下さいね」
 汗を拭うふりをして落涙を隠す。僕は、この人に何も自分のことを喋ってはいない。舞台で家族構成を少しく語ったのみだ。なぜ、この人は、突然に、こんな話を、するのか。あなたの何がこの言葉を発しさせたのか。
 
 僕はもはや若くはないが、口による表現活動を仕事と称して差し支えないなら、今、3つの仕事をしている。まさに昼夜関わりなく仕事をしている。頭脳労働と肉体労働だ。「ホワイトカラー」の仕事と、夜勤の配送センターの荷卸作業という「ブルーカラー」の仕事、そして表現舎は「白」と「青」の中間、ま、「水色」カラーってなもんだろうか。すこしでも表現舎である時間を増やしたいから「白」と「青」をなりふり構わず行うているが、殊に「青」などは僕には想像を絶する重労働で汗みどろになる。最近は体が慣れてきた。やりたいことやなりたいものがあるというのは物凄い力を発揮するものだと驚かされている。
 考えて見れば、表現舎を名乗ってからは、生活の上でいらないものや、不必要なものを削ぎ落としてきた歴史だ。まあ、「削ぎ落とす」という表現は少しく当を失している。どちらかというと「関心を示さなくなった」という方がふさわしいかもしれない。財、地位、名誉。これら年相応に社会に表示するべきステータスのようなものは、もはや表現舎にとってどうでもよいものであるという真実に気がついた。
 反対に、適宜適切な時期と場を通じて、誰かの筋書きに従ってすべてはもたらされているのではないかと気づく。そうとしか思えない状況がつづいている。信仰、思想信条、健康、家族、友情、存在、使命、つながり、機会、地域社会や愛国の情。これらは決して偶然などでなく、あたかも何かの意思が表現舎をして、あたかも「ここで、これに気づけ」とか、「それがわかったら、次はこれだ」などと、手とり足とり誘なうかように、周りの人の「口」を通じて伝えられている。これは「口」を借りて僕の前に置かれる、といったほうが実際の姿に近い。
 グズグズに酔って馬鹿話をしている相手が急にフト、シラフに戻ったように見えた瞬間、今の僕に必要な珠玉の名言を一言発して、また泥酔に帰る。たまたま貸してもらった本に今の僕に欠けている驚くべき名文句が載っていたりする。街で叫んでいる狂人の雄叫びが僕には重要な提言で全身に鳥肌を立てながら聞き入ったり、失敗に打ちひしがれる僕をお客様が手を合わせて感謝して下さるのを見て激励への感涙にむせぶ。
 出会うはずのない人と出会い、数奇な沢山の人の接続を以て僕に機会が与えられる。非才にあえぐ僕を追いかけて下さるお客様の一言、娘の何気ない言葉や態度にも実は神聖な意味がある。ランダムに道端に置かれてあるように見えながら、本当は何かの脚本に従って、筋書きに沿って事態は進行しているのではないかと考えざるを得ない状況である。
 もともと哀れ末路と船漕ぎ出した表現舎丸である。野垂れ死にはもとより覚悟の上だ。この先に何があるのかさっぱりわからないが、喜んでくださる方がいて、僕の存在を以て何事かに寄与するのであれば、機会を選ばず舞台に立とう。よろこんで神の「性能の悪い」道具となりたい。