第1047回 港区いきいきサロン 磯路老人憩いの家 出演

 月曜日。午前、国事奔走。午後、港区磯路老人憩いの家に到着。
 30名75分。乱坊のお食事日記、蛇含草。今日は男性の方が3名ほどいらっしゃった。珍しいことである。男性がよく笑って下さった。
 終了後、区社協のご担当者様から過分なるお誉めの言葉を賜り、ありがたいことである。
 帰りは大正区を経て、渡し舟で津守村へ渡河し帰る。
 帰宅後、T君からゲットした焼酎を1本完飲し、自宅で記憶飛ぶ。独り打ち上げ。
 
 二一が二、で、二二んが四、である。二三が六、で、二四が八、だわな。次になぜ、二五が十、とはならない?「が」が抜けて二五ぉ十、となる。五には「が」が付かないのか?
 では、三はどうだ。三一が三、で、三二が六、と来るわ。さざんが九、なのに、三四十二、で、「が」が消える。
 四なら、四一が四、四二が八、で、四三十二、だ。ここで「が」が消えた。
 五は?五一が五、五二十。もう消えた。
 六もだ。六一が六、六二十二。あ。
 七一が七、七二十四。ふむぅ。
 八一が八、八二十六。なるほど。
 九一が九、九二十八。そうか。
 ということは、解が十以上のときは、「が」をつけないということか。
(1)「が」はイコールを示し、解が十以上のときは、「が」を用いないことになっているのか。
(2)または、九九において解は、正の整数型を二ケタのテキスト長の文字列型に変換したもので、解が十未満の一ケタ台のときには、桁数を合わすために明示的に十の位が0であることを示して、文字列型に0を意味する「が」を入れて表示〈発音〉する規則なのか。
 娘に聞かれ、答えられない。
 昔、平良が学生時代に家庭教師していた生徒に、「2×a」がなぜ「2a」となるのか、と問われて、「そういうもんだからだ」としか答えられなかったことに似ている。
 なぜ「が」は消えるのか。
 
朝、卵焼き一片、茶漬け二膳。
昼、茶ペットボトル500ml一本。
夕、焼酎四合、さごしの塩焼き、なっぱと揚げの炊いたん、サツマイモご飯二膳。