第1046回 阿倍野区王子サロン 王子福祉会館 出演

 今日は、僕の友人・T君のことを書こう。
 もう3年の付き合いになる。彼は僕より随分と年が下なんだが、なぜか気が合う九州男児だ。
 僕は、彼と、あるキャンペーン活動で、夏は酷暑の中を、冬は厳寒の中を、季節に関係なく共に汗水たらし、目標や目的に向かい行動や気持ちを共にしたことがある。
 彼とは会った途端に気脈が通じた。二人、車で様々を話し合い、目指すべきやあるべきを語り合った。彼と語らい、彼を赤裸々に掘り下げて行く中で、彼がいかなる人間であるかの一端を僕は十分に知ることができた。僕より年下ながら、彼の友人として彼の記の列伝の部に、一友人として名を連ねることができるとしたら、それは僕の誉れである。そんな奴である。
 随分経ってからだったろうか、彼が九州の大学を出て、わが関西大学の大学院を出ていることを知ったのは。同門とは恐れ入る。わが来舞兄に言わせれば、「かつて親せきや仲間、同じ村の住人であった者が、出会うべくしてやっと出会えた、幾世代も前からの旧知の間柄」と言うことであろう(実際、落語大学では毎夜のごとくこれらの単語が酒席で飛び交い、涙して乾杯している。一般民間人には気色悪い世界かも知れぬ)。
 また彼と出会うまで、周りの人たちを通じて僕と彼に与えられてきた数々の選択の枝をかいくぐり、出会うようお導き下された見えざる手の配慮を感じずにはおられぬ。兄の言葉通り、(敵であれ味方であれ)出会うべくもないものが出会うことには、不思議なる業が働いているとしか言いようがないことがある。 
 彼がある地区の担当に抜擢されたときは、祝いの宴を催したことも本誌報に記載されているだろう。書いた覚えがある。
 
 今回、彼がお世話になっている皆さんから請われて、楽しい午後のひとときを過ごして頂くため、僕を推薦したいとの彼からの電話を受けた。彼と共に舞台の妙、神聖なる不思議を体感するのも面白いだろう。スケジュールが空いていたので喜んで受けた。
 
 予想を上回る大きな会であった。60名60分。「今日から使える―」、「蛇含草」。時空の共有、主客の一体を絵に書いたような会場のさまに、才能なき表現舎は、お客様の想像力に、前向きに楽しもうとされるお元気でポジティブなお姿に、またいつものように語るべきをお与え下さり、初見を旧知とお客様のお心を開いて下さる御業に感謝する。
 前・後段の間隙には、お客様から歓迎のレイの花輪を首に掛けて頂く趣向があった。着物姿にレイとは、売れない演歌歌手風で皆で大笑いした。
 お便所休憩の折、一人の男性が、「独りで暮らしてたら一週間くらい一言もしゃべらへんことありますねん。先生言うように姉の家でも行ってもっともっと人とお話しすることにしますわ」と自席で立って表明して下さる。この方のお心にお働き下さり、彼がなりたい自分への歩みをお始めになられるとしたら、それは神のお力による後押しであり、取り次げた栄光に感謝する。おじいさん、僕も同じ思いですよ。
 講演中も落語中も、前の道路をパトカー、救急車、消防車が二台づつ時間をおいて通る、というアクシデントがあり、騒音に人物のままで待つのだが、じんべさんや徳さんが「大阪はこの会場以外、丸焼けやで」「焼けの原で餅食うたり、落語聞いてる場合やおまへんで」などと言いながら餅食うさまに、タイミングよく登場する緊急自動車にまで感謝したい気になった。なかなかの趣向に思えたほどである(緊急であった当事者の皆様方、すいません)。
 終演し玄関口でお客様お一人お一人に握手してお見送り。高齢者の皆さんのエキスを手から奪い取る。こちらが皆さんに励まして頂いてる気がするのだ。全員から吸い取り皆出汁ガラになってお帰り頂いたのではないか。
 スタッフの皆さんのお心遣いもギンギン感じ、実に愉快で楽しい時間を過ごさせて頂いた。僕の感じた愉快のわずかでもお持ち帰り頂ければ幸いだ。また必ずお出会いするときまで、皆さんどうぞお元気で居て下さいますことに。
 楽屋で少しくT君と話し帰る。T君、すばらしい機会を与えてくれた。君の人生の意味は今日のこの舞台を創り出すためにあったのかも知れぬ。あとは好きにしてくれ(嘘だ)。
 今日のように阿倍野区を、そしてわがココロの郷土・西成区をともに手を携え、細かく回る気はないか。今日のおじいさんのように、なろうと自分が思えばなりたい自分にきっとなれる。そのためには君が必要だ。君、僕の地域担当にならないか、いろんな意味で。