第1045回 西成区社協いきいき元気教室 弘治老人憩いの家 出演

あいらく【愛楽】(名)好み親しむこと。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 金曜日。15名90分。会場設営、着替え、迎賓。保健師さんのインフルエンザ対策のご講話の後、「今日から使える―」、「蛇含草」。お楽しみ頂けたと思う。こっちも睡眠不足で体は疲れているけど、精神は少し高いハラショーなところへ行ってるから、十分に楽しんだ。
 落語を愛楽する皆さんの多い地域かつ世代をお相手にする。少なくとも落語という表現形態を取る以上、人類文化の再末端で表現の末席を汚す僕のようなヤカラであるからこそ、「落語とはつまらんもんやなー」とお客様に思わせる、いわば大衆文明をして自ら唾毀せしめるが如き行為だけは避けねばならぬ。表現舎が高き座より常に気に掛ける唯一の重要命題である。
 
 帰りにこんなことがあった。鶴見橋から自転車で帰るとき、岸里駅周辺の国道26号線を南下していたら、3時25分くらいだったか、およそ30メートル先の交差点で信号待ちをしていた男性が急に倒れられたのが遠目に見えた。
 倒れた人は、棒を倒すようにまっすぐ後ろ向きに倒れたんだ。僕は、舞台後のホッとした気持ちでギヤを一番軽くして、輪行可能最低速度でプラプラ流していた。気を抜いてチンタラと前を眺めて乗っていたんで、交差点付近の周囲全員が直立しているのに一人だけ起立角度が傾斜していくさまを見て「?」と気づき注視できたのだ。
 棒(のように直立したままのお身体)が完全に倒れた瞬間、頭と地面の激突音が30メートルも離れた僕に聞こえてきた。
 その音をどう表現すればいいか。川原などに行って固い石と石をぶつけたような、「カーン」とか「コーン」とかいう類いの乾いた音だ。おそらくアスファルト部分ではなく、45センチ方形の歩道に敷き詰めてあるコンクリートの敷石と、頭蓋骨後部が衝突した音に違いない。頭蓋の構造上、共鳴するのだろうか、距離がえらく遠いのに甲高い衝突音が聞こえたのを覚えている。
 ヤバイ状況であることが見て取れた。これは推測に過ぎないのであるが発作か何かだったのだろうか、倒れられたあと、両の手を前に突き出し(ということは天に差し上げている状態)硬直して痙攣しておられた。あるいは後頭部を地面で強打したことに起因するのか、いずれにせよ、この硬直と痙攣が、卒倒の原因か結果かはわからない。
 彼の周囲に立っていた人たちは、凝視して完全に止まっていた。無理もない。母集団がたくさん居たから誰かが何かするだろうという心理もあったろう。本来、人情にあふれる西成であるから、酔って座り込んでいるだけでも「兄ちゃん、大丈夫か!」などと声をかけてくれる気さくな街である(何度か経験がある)。
 しかしこの場合、垂直卒倒、甲高い衝撃音、あり得ないほどの痙攣という尋常ならざる事態に、間近にいた人らは瞬間的に度肝を抜かれ放心驚愕して、状況を理解するのに時間がかかっていた、というのが正確な表現に近いような気がする。
 ところが、僕は少し近づいたとはいえ、まだ20メートル以上離れていた。自転車上で救急119に電話しようと胸のポケットの携帯をまさぐったところで気づく。
 当事者と周りにいる人らを見ていたが、遠いので周りの風景も全部見える。現場の26号線の東向かい岸は西成消防署なのだ。
 ここへ電話するなら行った方が速い。ペダルを一かきして26号交差を渡ると、3秒ほどで消防署の入口に着いた。ガラスをドンドンドンと叩いたら隊員さんが顔を出してくれた。
 「どうされました」
 「1分以内に、そこの交差点北東角で男性が倒れて後頭部を強打。倒れたまま痙攣中。助けてあげて下さい!」
 「あ、見えます、わかりました!」
 職業柄さすがにテキパキしておられ、側に居た若い隊員さんに指示して取りあえず現場に向かわせられたのを確認した。僕が知る状況はそれが全てであったから野次馬となりお邪魔してはいかんので、自転車でまた自宅に向かい南下を始めた。
 状況を見たうえでのご判断の手配であろう、その約1分半後、僕は現場に急行する救急車とすれ違ったから、卒倒から救命のプロに委ねるまでに少なくとも3分、多めにみても5分はかかっていなかったのではないかと思う。
 
 僕にあの現場へ居合わせる時間と場所のご配慮を賜り、愚鈍なる僕をして、あの方にとって最善と思われる方法へのインスピレーションを与えて下さったことに感謝します。
 お力を以て、あの方がご快方にむかわれる御業が行われますことを祈ります。