第1032回 融通念仏寄席 計画協議

あいぬ【あいぬ】(名)北海道旧土人(注)の称。樺太・千島島にも散住す。皮膚褐色、目窪み、歯美しく、体毛多し。特殊の風俗を有す。古昔には蝦夷と呼ばれたり。あいぬとは、元来彼らの語にて思考者の義なるが、転じてその種族の名となれり。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用

(注)転記中の表現につき、戦前の本なのでそのまま転載することをご了承願う。
 
 日曜日。祖母十七回忌法要。ウチが檀家のお寺から当番僧の方がお越しになって、経をお読み下さる。いい声でいらっしゃる。まるでホーミーを聞いているかのように低音と高音を同時に発しておられる。聞いていて心地よい。読経時間約40分。大ネタである。
 読み終わられ、僕の方を向き直りお話頂く。
 
 「おお、あなたでしたか。西尾さんと落語しておられるのは」
 「あ、西尾さんの景清はいかがでしたか」
 「よかったです、あんなんまた聞きたいと檀家さんらで言うてたんです」
 「ところで、融通念仏は清水寺とはいいご関係ですか」
 「ええ、過去、僧兵を戦わせるようなイクサはしておりません」
 「現在も?」
 「ああ、今は、お互い僧兵がいてません」
 「では大丈夫ですね。また清水のお話でもさせて頂きましょう。融通念仏寄席で!」
 
 あと、みーちゃん食堂の二階で打ち上げ。献杯から始まり、親族の会。
 「親子酒」を一席献上する。
 妻の批評をあとでこっそり頂く。さすがに落大だけあっていいところを突いてくる。ぐうの音も出ない。もう、お前やれや。
 
 今回は「アイヌ」が引用語であるが、アイヌのことはさっぱり知らない。これまでの偏読の結果であるが、これを機にアイヌの英雄譚でも読んでみる。以下はwikiからの要約だ(こんな要約を読まされる読者も気の毒なこった)。
 
 シャクシャインアイヌの一部族の首長であった。近隣の部族との間に長らく抗争があった。
 近隣部族とは松前藩の仲介によって講和するが17世紀中頃に対立が再燃し、シャクシャインが近隣部族の長を殺害。報復の為、近隣部族は松前藩に武器の援助を申し出るが拒否される。さらにその部族の使者が帰路に急病死すると、使者は松前に毒殺されたという風説が広がる。
 以前からアイヌは和人から不当な圧迫を受けており、高まっていたアイヌの和人への不満がこの件により爆発した。これは皮肉にも、対立していたアイヌ諸部族を一つにまとめるものとなった。
 シャクシャインは、蝦夷地全域のアイヌ民族松前藩への戦いを呼びかけた。1669年6月、シャクシャインの指導するアイヌ軍は松前藩へ蜂起を起こした。これがシャクシャインの戦いである。
 蜂起は各地で発生し船舶や待らを攻撃、和人を殺傷した。シャクシャイン松前を目指し進軍、7月末には現在の長万部(クンヌイ)まで攻め進んだ。松前藩から急報を受けた幕府は東北諸藩へ松前への援軍や物資援助を命じ実行された。
 長万部(クンヌイ)での戦闘は8月上旬まで続いたが、渡島半島アイヌと分断され協力が得られなかったことや、支援を受けた松前軍が鉄砲を多数装備したことなどから、シャクシャイン側が不利となり、撤退し奥地での長期戦に切り替えた。
 戦いが長期化することを恐れた松前藩は、シャクシャインに和睦を申し出た。シャクシャインは一旦はこれを拒否するが結局応じる。しかしこの申し出は松前藩の罠で、松前藩陣営まで出向いた際、和睦の酒宴に潜んでいた武士たちによりシャクシャインは殺害されてしまう。指導者を失った蜂起は次々に松前藩に鎮圧された。
 
 こんなこと、ちっとも習ってない。知らなかった。シャクシャイン、なかなかやるな。
 酒宴でおそうなど卑劣だな、松前。酒飲みの風上に置けぬ。機嫌よう飲めよ、貴重な酒を。