第1031回 敗戦記念日に寄せて

 今日は、引用している場合じゃない。そんな気分じゃない。
 昨夜、帰ったら妻の言う。
 「帰したで、帰しよったで。なんちゅうこっちゃろか」
 「何がいな」
 「日本、船長さん帰したで」
 僕は驚いて言った。
 「ええ!船長さんて、あの中国の船長さんか」
 「そうやがな、国交大臣が船長さんは国内法でって言うてたのに」
 怒りがふつふつと沸いて僕は叫ぶ。
 「言うてたやないか!船長さんは粛々と裁くって」
 「その船長さんを帰したのよ!」
 「船長さん、帰したらあかんやろー」
 「帰したらあかんやん、船長さん」
 
 うちの夫婦は育ちがいいのか。どうしても船長を呼び捨てにできない。
 上記の会話はものすごく立腹して話している。こんなに怒っているのに、なぜか船長を呼び捨てにできない。「船長さん」と言ってしまうのだ。
 社長を「シャッチョウさん」と片言の日本語で言ってしまうのと同じだ。ただいまを「ただいマンモス」、お帰りを「おかえりんご」と言ってしまうのとも同じだ。
 
 先日の日記で、国内法で裁くことに対する国家主権の発動を皆さんと喜んだところである。それを書き込んだ指の爪も乾かぬうちに釈放だ。
 「義」の問題であると書いた。この不義は、日本の終わりの始まりである。もはや既存の政治に期待することはない。政治家が、国会も地方も、皆だんまりを決めているこの様は一体なんだ。これは領土問題であり、内政への干渉ではないか。いかな圧力でこうなったんだ。三権分立にも抵触していないか。合衆国との関係も総点検しなければならぬ。
 民衆はその日の生活で手一杯だ。だから代表者に生命身体財産の安全や庇護を委ねているのではないか。心ある人間、胆の座った人間に政治を委ねないと本当に終わる。できないなら立場から退くべきだ。国の不幸である。立場にある者らはそれぞれの場で猛省してほしい。
 この日本の国辱は繰り返されてはならない。記録する。やけ酒だ。