あいにく【生憎】(副)あやにく。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
90名90分。前段2系統合一の論(75分)、後段「僕の差し歯に関する伊賀神戸臨時議会」(13分)。全編フリートークのみ。
約90名、座敷座布団。到着して会場点検。迎賓は受付の方の横でご挨拶。
先週行った伊賀市古郡の区長さんはじめ区民の方も来て頂いていた。昨年行った伊賀市比土の皆さんにもお声をかけて頂いた。嬉しい。
皆さんのお心をお開き下さり、機会と、語るべき言葉を与えて下さることに感謝。
味わった感激を言葉で表現することはもはやできぬ。言語で表現する宿命を持つ表現舎の限界を超えている。
終演し、公民館長自ら駅まで送って頂く。
急行に乗り帰る。パワーポイントなんで、自分のパソコン持ち込みだからカバンが重い。難波で乗り換えのため難波ハッチの下で一服していると、笑鬼小父貴より着電。僕は「はてな」の報告を為し、小父貴の前日の「景清」の所感などを承る。
小父貴の「景清」に僕自身、縁がないわけではない。僕の実家は融通念仏宗(注)である。
注)融通念仏宗は、浄土教の宗派の一つ。平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗とも言う。 (中略) 総本山 大念仏寺 大阪市平野区平野上町1-7 (以下略)−引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%8D%E9%80%9A%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E5%AE%97
いつであったか、実家へ帰った折、母に言われた。
「あんた、お坊さんと落語してるんか」
「は?」
「お坊さんと落語してるんちゃうのん?」
「…お坊さん、と、?」
うちの母はよくスカタン聞いてくる。しっかり聞いて、母の頭の中のパズルを僕が解かないといけないんだ。これがなかなか難しい。
「お坊さんと落語してるねやろ?」
お坊さんと落語などしていない。お坊さんの部員などいるのか。
まあ、強いて言うなら、僕が「乱坊」で、いわば意味的には「破戒僧」だ。葷酒山門で大歓迎である。また、高校で縁あって真言に触れ、大師と同行二人の秘密血脈を承った立場にもかかわらず、本来、衆生を救うべきなのに、衆生に救うてもらってばかりいる、主客逆転のまさに「乱坊」である。
「おかん、また、何かスカタン聞いてきたんと違うのか」
「わたしがいつスカタン聞いてくんのん、目から鼻にビャーって抜けるほどシャンっとしてるやないの」
擬音語が多くてよくわからない。
「宗祐寺のお坊さんが言うてはったで、大阪で、『西尾はん』ていう本山のお坊さんと、息子はん落語してはるちゅうて」
「本山のお坊さんの西尾さん…、ボンさんの西尾はん…?」
いない。坊さんの西尾さんなんて知らない。
「知らんわ。坊主の西尾はんちゅう知り合いはおらんで」
「おかしいなあ」
「おかしいで」
先日、天下茶屋で笑鬼小父貴と、智子姉さんと会った時、
「夫婦二人で、仲良う連れもってどこ行ってきましたん」
「法事の打ち合わせで平野の寺に行ってきたんや」
「ん、平野?大念仏寺ちゃいまっしゃろな」
「そうや。大念仏寺系の寺や」
「ええっ!ほな、ウチと同じ宗派ですやん」
「せやがな。ほで、寺で話ししとったらな、そこの坊さんが榛原の宗祐寺行ってはってな、お前とこの月参りしたらしいで」
つながりだした。
「その坊さん、お前とこのおかんに、ワシと落語してはるなあ、て話したら、エライ恥ずかしそうにしとった、言うてたで」
「あ、笑鬼さん、あんた『西尾』はんやなぁ!」
「なんや急に、そうやワシは53年間『西尾』や。尾は尾でも、東、北、南やないで。れっきとした立派な『西尾』や」
「いや、そんな尾ひれはいらんのですわ、ああ、あんたがおかんの言うてた、坊さんの西尾はん!」
「ま、坊さんちゃうけど」
そこで、今たび、寺で「景清」の指しネタを頂いたということであった。
演じながら豪快にお泣きになったらしい。同日、僕も「はてな」で泣いていた。
こんど「泣き虫落語会」をしようという話になった。舞台上でグズグズに演者が泣く。左の人間だけが泣くというのはあるが、右も左も泣く落語(片方ウエットで片方ドライなんて器用な芸当ができるわけがない)。「もう帰りたい」とお客様が泣く。
これは来舞兄に電話しないといけない。あの人は落大が生んだ稀代の泣き虫だ。この企画を言うだけであの人は泣く。電話で泣かせる自信がある。