第1029回 大和郡山 柳楽寄席 出演

あいなだのみ【あいなだのみ】(名)あてにならぬたのみ。そらだのみ。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 初見のお客様の前ばかりでやってるので、Yご夫妻のように僕が出る寄席をずっと追いかけ応援しにきて下さる方の存在は、僕に勇気を与え、よりいいものをお見せしたいという原動力となる。まずは文頭において厚く御礼申し上げておくところである。
 
 大和郡山に行こうと家を出た。雷雨であった。こんな日に寄席にお客様くるかしらなどと思いながら傘をさして歩く。雨はすばらしき篩(ふるい)である。ちょっとした動機の方なら寄席行きなどお辞めになる。来られる方々も気合が入ってる。雨もまた楽し。
 
 この日は半年ぶりの「はてなの茶碗」だった。愛する噺の一つである。当日前1週間は、感覚 ― とりわけ油屋の心に自分がかつて共感した初めの頃のそれ ― を思い起こしパーツわけしてある全10部を再確認した。茂八君は以前、「お稽古はもぐら叩きである」との名言を残す。いま、意味が少し解る。忘却と成長で初感が遠のくこととの戦いだ。
 最後の二日は夜9時から午前3時まで環状線沿いに自転車で徘徊して繰った。そして驚くべきことに僕は、舞台前夜、なぜか眠れなかったのである。舞台前夜に眠れないだなんて学生時代以来である。
 
 当日、らいむ師と合流。会場点検。考えられうる最高の客席をお造りするのは、人生を時間借りする演者の務め。心地よい席となる準備は整った。
 約40名ほどか。 
 らいむ師「道具屋」。師より発せられる気は、来るべくしてお集まりになられたお客様を応援者に変えて行かれる。会場は実に高らかな笑い声に満ち、僕へのバトンを握って走られる。
 落語に縁ある者は聞くが良い。僕はその場に居合わせた生き証人である。
 道具屋の笛に入った指は抜けない。抜けないことが定説だ。ところがこの日、見よ、らいむ師の指が滑って豪快に笛から「抜けた」のだ!いちびってやってらっしゃるんじゃない、むろんお稽古不足ではない、まさにアクシデントであったのだが、お客様一人一人と各条の糸がしっかりつながっているとき、演者とともに会場全体が、「あ、抜けた!」という驚きを共感したさまが見て取れる。落語の熱烈なフアンばかりではないはずだ。しかし、しっかりと話に引き込まれて完全に一枚となった板のようなお客様にとっては、抜けるアクシデントまでもがおかしい(笑い)。おかしい(変)とわかっていらっしゃる。もはや落語はその人を象る何かであって、らいむ師自体を見ていらっしゃる。師は再度、指を笛に入れて対処された。舞台袖で笑う。
 もう席をチンチンに温めて頂き、熱々のバトンを受け取った。
 
 乱坊「はてなの茶碗」。『表現舎乱坊十八番』の筆頭第1番に入れたこの話、ラストの500両を受け取る時の「うれしいけど、受け取り難い」感情が短く、少し天まで入ってないが、自分の舞台の中では史上最高のできであった。平素、自分のネタのできをほめることのない僕だ、興奮の一端が自画自賛にならぬよう注意したい。枕を軽くたしなんだのち、最初の捨て流しの温度検知機である「本間もんの油売らんと」からtrueの回答を返してこられる。
 はてなをやるのはこの一行、である「この三両と、あんさんがこの京都で額に汗して働いた三年、ああ、これこそが親御への立派な土産やおへんかいな」では不覚、感情が入りすぎて少し泣く。茶金さんが泣いてはいかんのはわかるが、僕の知っている茶金さんは泣く。
 「いらん、いらんわい」初めは殺して二回目10割で転調。「敷居高こて家去なれしまへんがな」前後落として10割。
 皆さん、じっくりとお聞き及び下さり、僕がはてなで感じる、トントン拍子に良き方向に転がっていく流れをたどるを示すキーセンテンス ― 「一度その茶碗が見たい(関白)」「この噂が時の帝のお耳に入ります」「どえらい値打ちもんになって茶金さんのもとに返されてきたのでございます」「茶金さん、その茶碗、千両で私に売ってもらいたい」「いわば千両で売れましたようなもん、茶金さん一刻もはやく」―で、僕も上がる、お客さんも高いところへ上がっていく。
 らいむ師曰く「小さなくすぐりも皆付いて来てはったな」と。「千両で」「ぽたりぽたりと漏りますのや」「漏りまんのん」、三回の固辞と三両の受諾。検知機はTrueを返し続けた。感謝。
※ この下り、脳内のマシン語をそのまま書いてるので、何書いてるか意味不明の方もあるかとも思うが、自分の記録のためなのでお許しを願いたい。
 
 終演。
 追い出しの御礼に立っていたら、一人の男性のお客様が、「私は落語はあまり聞かんのやけど、落語聞いて泣いたんは初めてです。ありがとう」とわざわざお声を掛けに来てくださった。
 涙と笑いがあいまった「はてな」の見え方は、当日の取り次ぎ役の僕が意図して発射したものであったが、不自由な乱坊自身の口と、互いの間を占める「空間」という障害物を超えて、プラグもつながず、お客様の脳内で映像が再構成されたとするならば、この方の想像力や感受性は素晴らしく奇跡である。このような方々がお客様としてご来駕下さっていることこそが、表現舎冥利である。
 また前述のYご夫妻から別々にご祝儀を頂戴した。人生で初めてである。ここに一項を分かち御礼を申し上げる。
 
 らいむ師と帰り、近鉄電車で落語についてを二人で原稿用紙1万5千枚づつ計3万枚を語り合い、天満天神繁昌亭へ。
 第7回桂三金独演会を鑑賞する。三金君は大安売り、花筏、幸助餅の三席。二番手に三四郎師「17歳」。もたれは文福師の「相撲じんく」。ゲーム君、くれあ君、他現役11名が来ていた。
 あと、らいむ師と二人、互いに「こんな落語三昧な一日はない」と興奮し、らいむ師のお誘いで打ち上げに(らいむ師をご存じない方に申し上げるが師は基本的に呑まれない。師がご自身からお誘い頂くことは喜びである)。
 居酒屋で、らいむ師と日ごろ感じる舞台の不思議や、三金君の当日の出来などを、また、僕が最近読んだ『落語論』から引用し「すべての落語の批評・論評は『嫉妬』からくる」こと(どう言い訳しても論評するにおいては正解である。「俺ならあそこをこうやるのに」でしかない)や、自分の愛する数々の噺に「この一行のために私はこの話を語る」を当てはめながら原稿用紙7万枚を費やす。すなわち都合、師とこの日、約10万枚を語り別れる。
 帰りてのち、あいなだのみは許されぬ。明日の準備などして寝る。