第1016回 港区いきいき教室 弁天地区 出演

あいたてなし【間隔無】(形、一)《あいだちなしの訛》。1、わけへだてなし。うちつけなり。2、あいそうなし。すげなし。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 水曜、港区弁天地区25名80分。乱坊お食事日記、蛇含草。記録す。
 台風一過。晴天。暑い。港区は遠いので少し早く出たが、30分で着いた。弁天の会館は建物がとても美しかった。
 ついてまず驚いたのは、先妻そっくりの人が居たことだ。しかし、この詳細を縷々述べることは、本稿の意図するところではない。あっさりと流す。
 最近、笑鬼さんと確認しあったことが在る。会場作りについて最も問題意識を持って真剣に考えているのは、当日、その席に出て喋る演者である。また当然のことながら演者でなければならない。演者しかいない。
 音響、照明など、どうしようもないことはさておき、(固定席でない限り)椅子の並べについては、在るものを在るままに漫然と出るのではなくて、並べられたものを並べられた状態のままに出るのではなく、先ずはお客様において最高の状態に、そして自分自身に最高だと思われる状態を目指して、工夫して並べ替えなくては、だれか他の人にお願いできるものではない、ということだ。
 よって、会場入りの時刻より少しく早めに入って、舞台との距離、お客様の密集度合い、参加予定人数と出している椅子の数などに充分気を配るのは、演者の努めである。天賦の才能をほしいままにする猛者にはこんなことはどうでも良いことであろうが、凡夫がお心の隙間に入って、語るべき言葉を探し、お客様との一体や連帯の賜物を頂こうとするときは(感謝します)、ここらを放置して向かうは極めて怠慢だ。
 お片づけも精一杯お手伝いする。「先生にそんなことしてもらわんでも」などといわれるが、会場の机や椅子を好き勝手放題に並べ替え、むちゃくちゃするのだから、これはやらせてもらわんと困る。加え、迎賓、追い出しは、毎回初見のお客様との接触時間を少しでも多く取りたい凡夫のもがきであり、お時間をお借りして話を聞かす人生の時間借り者の当然の振る舞いであると気付かせてもらっている。
 これら基本的な立ち姿ができていないときが、ある。疎かにするな、乱坊。
 この先に何が在るのか知らぬ。ただ、神聖で意義在る使命を与えられたと信じ、倒れるまで進む。

 本項の引用語、「あいたてなし」は、平素良く使う言葉なんだが、「あいたてのう、やらないかんで」などと使っている。このとき意味は「愛想よく」のつもりで使っていたんだが、どうも説明を読むと反対の意味であったのかもしれない。44年間、間違っていました。すいません。
 てなわけで、本文中、引用不能