第1011回 第三次世界大戦

あいそう【愛想】(名)1、愛敬あること。人好きのすること。2、機嫌をとること。なぐさむること。3、もてなし。応対。4、よしみ。愛情。(以下略)− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 子供たちの夏休みが終わった。ここはみなさんとともにお喜び申し上げたい。子供たちが学校へ行く。家庭から学校へと生活の中心、軸足を移してくれた。居なくなった。失せさらした。長かった。祝・夏休み終了!
 共働き世帯において、自分の稼業と、妻の仕事の合間をぬって、子供たちの受け渡しスケジュールを考えなければならない、あの「夏休み」という期間は、もうひとつ、別の仕事を新規開業するほどに厄介なものである。学校がないというのは困ったものだ。
 市の学童保育制度をフルに活用し、塾・習い事の夏休み時間変則(これが難儀だ)に合わせて、子供たちが完全に自宅で二人っきりになる時間を最小限とするように、両親は、自分のアポイントと自宅の間を、光速の90パーセントの速度で移動するという、そなえられたスペックぎりぎりの行動を余儀なくされる。
 これに加えて、「ゆとり教育」なのであろうか、宿題が少ない。僕などは元来が怠惰であるから、少年時代の夏休みは延々と、今日やらなきゃならぬことを明日に伸ばし、明日やればいいようなことを今日やって遊びほうけていたので、夏休みラスト5日で帳尻を合わせるのに必死であった。
 僕らの時代には、日記、読書感想文、絵画、工作、観察日記、自由研究、計算ドリル、問題集、笛、お手伝い、ラジオ体操…、なんかもっともっとあったように記憶するが、宿題満載ではなかったか。
 今、長女・天寧などは[読書感想文・絵画・工作]からひとつを選択、計算ドリルや問題集は少量に過ぎて微量、縦笛の練習が少々。自由研究もハードルは思い切り低い。妹・まつ梨の分もさほど変わらない量だ。
 そして驚くなかれ!二人とも日記がない。絵日記も観察日記もブログも陣中日誌も何もないのだ。愛想もへったくれもない。夏の課業、少量にして、日記なし。なんという余裕か。平安宮廷人やフランス王侯貴族の日常でももう少しやることはあったろう。
 やることが少ないということは、やったらすぐ終わっちまうということである。「宿題、やらんでええんか!」というと「もう終わりましたぁー」と小憎たらしく言い返す。「どこぞへ連れていけ」といわれて、切り返すにふさわしい「宿題も終わってへんのに遊びに行ってる場合か!」という子供の頃に言われ倒した親最高の反撃がみごとに封殺されてしまうのだ。
 そんなこんなで、榛原、岩国(両実家)、また池田(夏祭り司会同行)を、国内有数の名所といつわり堪能させた。小学校中・低学年にはそれで結構だ。
 天寧などは夏のおわりに、お母さんの見ていた雑誌などを見て「榛原もええけど、外国も行ってみたいわー」などと遠い目をしていた。ここはきちっと説明しておいた方がよい。以下は僕の海外渡航に関する娘への説明の要約だ。
 「現下、日本以外の諸国間では、経済危機に端を発した食糧争奪に起因する小競合いから、大きな紛争へと発展し、各大陸では近隣諸国間で大規模に交戦中である。国連軍は戦域を拡大しすぎて各所にて壊滅。諸国の国民同様、日本国民においても、武官以外の一般民間人の海外渡航は著しく制限されている。」
 娘には口裏を合わせておいてほしい。ややこしいので世界は戦争中だということにしてある。当面、ここ数年はこれで切り抜けたい。海外など、年頃になったときの、お友達といくと称した彼氏と秘密旅行ででも行ってくれればよい。
 何はともあれ、夏休みの終了を賀す。