第1010回 ブランマルシェ商店会 マルシェ寄席 出演

あいせき【哀惜】(名)人の死を悲しみ惜しむこと。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 ブランマルシェ商店会は、阪急池田駅高架下の専門店街だ。開業24年目であるが、専門性と特色ある商品を商う名店が多い。この夏のイベントとして、お客様にお店を紹介しつつ、楽しくお遊びするお時間の創出を請け負い出演した。
 2ステージ。総合司会は何と、あの、我らが産んだ希代のSHJ、浪漫亭来舞にいさんである。昨日に引き続きの共演である。掛け合う。念願の来舞・乱坊兄弟会だ。各店紹介、フリ遊び、コンテストともお客様と、そして兄さんと楽しませて頂いた。
 ノリの良いおじいさんは、メガネを吹き飛ばしそうな勢いで熱々のエアー・オモチを食べてくれた。小学生は恥ずかしそうにエアー・ビールを呑み、麗しき上品な奥様たちが、エアー焼き芋の皮の裏を歯で綺麗にコソゲ取っている姿にはある意味興奮を催した。エア・餅撒きでは都合10石の餅を撒いた。みな必死で拾っていらっしゃった。
 落語会ではないのに、引札寄席に何度も来て頂いているご夫婦、また「おたな珍道中」にご来駕賜った奥様(この方は妻の実家の義母に実に似ている)など、いつものお客様が楽しんで頂いている姿にも感激の涙を禁じえない。
 何事か良く解らず席に座った、赤ちゃんを抱いた若奥様の緊張が次第次第にほぐれて、最後はエア・餅拾いに打ち興じられるお姿に、いつもお客様のお心をお開き下さる、常に共にある同行者の存在をビンビンに感じ入る。
 打ち上げは、ブランマルシェ商店会の「家族亭」である。たまには違うとこ行けやという話もあるが、場所、価格、様々が頃加減である。ボトルが空で入れた。名前を書く。
 「来舞・乱坊兄弟会記念」
 そして、
 「人生で必要なことは全て落語大学で学びました」
と書いた時、乾杯前にもかかわらず、兄の目に涙。エア・泣き上戸だ。
 
 前日の池田サカエマチ商店街での夏祭りイベントで、ケーブルテレビの取材が来ていたが、その際、カメラを向けられ取材で突然に問われた。
 
 「乱坊さんは、商店街活性化策として、よくあるハード面の整備と、このような商店街のお客さんを巻き込んだイベントとしての商店主らの取り組みというソフト面の事業について、どのようにお考えですか」

 また、だ。雑踏の音が消える。きた。
 答えながら不思議に思う。
 
 「なぜ、この人を通じて、今、このような場所でこれを問うのか。僕に何を解らせようとしているのか」
 
 僕自身、郷土の商店街の産として、権利者として、TMOの委員として、あるいは不動産業者という立場で、商店街活性のあるべきを考え取り組んできた過去がある。
 地権者の思惑、行政の尻込み、コンサルの目的としての莫大な費用を投じた「報告書作成」など、ハード面整備(に至るまで)の一面を街づくり検討会議でつぶさに見てきた。そして決断できずに(否、決断しなかったことが傷を浅くした感もある)商店街が商住街へ、商住街が単なる駅前の住宅街になっていく過程を見た。
 しかし商業者はハード面の整備に一縷の望みをかけがちだ。街の顔整備、駅前再開発などの面的整備が、延々30年ほど浮かんでは消えしていたのを見ている。結論から言うと「何かをしてもらおう」という気になりがちなハード面整備という事業自体に、僕は絶望している。はっきりいっておく。そこに活性化はない。それどころか賃料の上昇、不動産価格の低下、保守メンテナンス費用の増大、テナントの退出などを考えれば、商業者自らの「ココロ」が活性化していない上でのハード面整備は、恐ろしい結末を迎えて(いる例を様々なハード面整備され没落していく商業集積に見て)いる。
 池田の街に、豊能大姉の仲ら人を以て、表現舎乱坊として商店街活性に携わるようになって思ったのは2点だ。

 一に、商業者がやる気であれば何でもできる、ということ。
 二に、継続は力である、ということ。

 これは逆に、全ての事業において商業者自身に何とかしようという野心や目論見がないと、いくら高い金を支払ってコンサルやエライ先生を呼んできて「報告書」を何十冊作成しても糞のツッパリにもならないということだ。
 池田の街は誠によいフィールドである。毎月、お客様にお楽しみ頂けるイベントを実施する。それは寄席であってもなくてもよい。お客様と商業者と出演者がともに楽しく笑って賑わいを創設しようと努めることは、即刻の効果は測定できないにしても「商店街は楽しい」という忘れ去られつつある印象を利用者に思い起こさせるものとなる。池田では商業者らが寄席に出て、自店の商品を出演者との掛け合いでアピールするコーナーがある。商業者自身も、その場に出てお客様の驚きや反応に自信を深め、積極的に取り組もうとされる姿を見てきた。
 またモチベーションを高く、有るべき姿を追い、行動に移してこられた継続的なお姿には、一発物や、やりっぱなし、マンネリ化とは程遠いものがある。また出さして頂いてる我々にしても「やり逃げ」や「一発勝負」、「半分の力」など次に続かぬ愚かな振る舞いができぬという、主旨を理解した上で緊張感をもって事に当たることが求められ(当然である)、継続することでお客様やお客様とのふれあいが増すに従い、ますますやりがいが増すという「正のスパイラル」に向かわせてもらっている。
 池田の商業者のみなさんによる、積極的・前向きなお客様への還元と、商業者・商店街の繁栄を願うソフト事業としての偉大な取り組みは、実に学ぶべきところが多い。
 池田のサカエマチ商店街あたりでは、わが郷土・地元の駅前商店街を歩いてるが如き、顔見知りからの挨拶や軽口を受ける。これは継続してやっている寄席に出ている乱坊ちゃんを、あんなヤツでもこの商店街で商業者の皆さんらがお取り組み頂くことに何らか意味があるかも知れないな、とみなさんのお心で受け止めて頂いているが故であると信じたい。
 
 僕の葬式は引札屋で挙行しようと思う。離れて長い郷土より、ひっそり暮らす住之江より、サカエマチ商店街の方が哀惜にむせび泣いて下さる方の数が多いかも知れぬ。香典もようけ集まるかも知れぬ。お通夜の晩も北摂だからみんな便利かも知れぬ。翌日はご出棺前、本式にカンカン踊りもいい。来月、吉岡さんに相談してみよう。