第1009回 笑売亭サカエマチ 夏祭り 司会

 最近いろんなところで、与えられた時間一杯を喋りきり、残10秒を残して持ち時間を終えることができたとき、僕は心のなかで叫ぶ。
 
 「よっしゃー!『スジャータ』やッ!」と。
 
 MBSラジオで毎時の時報が入る際のスジャータコーヒーフレッシュのパック)のジングル、あれは10秒だ。浜村先生は時報の切り目を見事10秒残して喋り切られる。毎回、美しくさえある。
 平素が完璧でいらっしゃるからこそ、時に失敗なされて「阪神勝った明くる日はメルシャンワインで、か(ブチ)」などと切れちゃった時は、単なる一リスナーに過ぎないのに、「えー、そんなーァァァァ」と絶叫してしまう。恐らく1179Mhzのリスナーたちはみんな揃って絶叫していることであろう。お茶の間、寝室、お台所。車の中でも(あ、これラジオ大阪やね)、関西は至るところで絶叫の大合唱となるのである。
 浜村先生が、8時から新聞記事のご紹介をされて、8時59分40秒位から「さて、9時になったら9時クイズ。9時クイズでお楽しみ下さい」と桜井一枝先生との軽妙なお喋りをまとめられる。間髪入れず来るのがこのスジャータなのだ。
 
 「(歌)♪スジャータスジャータ、白く拡がる、スジャータ♪、(声)スジャータが9時をお知らせします。(時報)ポーン」(全10秒)
 
 ここで空気変わって「ありがとうギャルズ」のリズミカルな替え歌で、9時クイズ突入となる。
 (※ 自転車乗りになってから長らく先生の「ありがとう!浜村淳です」を聞いてないので構成は変わっているかも知れぬ)
 
 前日の京都銀行様の京友会で僕は叫んだ。
 「よっしゃー!『スジャータ』やッ!」
 この日取り組んだサカエマチ夏祭りでも、最期の上がり時間を指折り数えて勘定したので終了。叫ぶ。
 「よっしゃー!『スジャータ』やッ!」
 そのあと頭のなかでは時報がなっているのだ。
 
 スジャータに終われると浜村先生に猛烈に電話をしたくなる。おほめの言葉を賜りたいのだ。
 「浜村先生!スジャータ1本、決まりましたー」
 しかし残念ながら電話番号を知らぬ。ご所属の昭和プロに電話するほどの話でもない。

 スジャータに終わらなければならないのは、講演の場合、僕の後ろはほとんど会食の懇親会がセットになっていることが多いからだ。この料理を冷やすわけにはいかん。準備が出来ていない段階で司会にマイクを返すわけにもいかん。スジャータでないといけないのだ。
 またイベント等では、請負人としての時間の約定もあり早々に終われない。反対に後片付けや関係者みなさん方の打ち上げを一刻たりとも遅らせるわけにもいかんのだ。これまたスジャータでなければならんのだ。
 
 だが、スジャータに終わる最たる要因は、僕自身、僕個人の打ち上げがビタ1秒遅れるわけにはいかない、というのがある。喉がゴロゴロいうのである。「話の後は酒と肉。肉はタレで。ゆめゆめタレかき給うことなかれ」として身体に染み付いているのだ(この一文のみR−15指定でお願いします)。
 この日、共演した笑鬼オジキは曽根の祭の音頭取りで早々に立ち去られたが、陣中見舞に来てくださった、どん太兄弟、三歩大師らとスジャータ直後に杯を交わす。そして共演した来舞兄と一日を振り返る。
 また一日同行だった次女・まつ梨の引札屋スマートボール手伝いのねぎらいに家族亭に往く。娘はきつねうどん、僕は焼酎ロックをショットで決める。
 
 そこにサカエマチ商店街の重鎮でいらっしゃる、やまひろ茶園のご夫婦がお食事に来られた。ご苦労さん、ご苦労さんということになって「乱坊さんのテーブルに生中を一杯」との有り難い仰せ。感じ的には「あの者に褒美を!」というローマの総督の厳かさである。感謝。さまざまにお話し頂けるご厚情を賜った。同郷人でいらっしゃり話も弾む。奥様も楽しい方だ。この場を借りて深謝しておく。
 
 呑んでいると時間を忘れそうになるが、その辺僕はなかなかぬかりはない。祭イベントで子供同伴の際の妻とのお約束時間・9時半に、正にジャスト・スジャータで滑り込んだこともご報告しておきたい。自宅の鍵をうちらからかけたとき、頭の中で時報が高らかに鳴った。