第1002回 「三枝一門会」鑑賞(天満定席)

 土曜日。午後15時45分に東加賀屋の自宅マンションのエントランス前で地面を蹴って自転車を漕ぎ出した。
 笑鬼師からは、午後16時にゲーム、まんまの両君と逢うから同席してはどうかとのお誘いを受けていた。が、15時52分の段階で西成区役所前であったので遅参の詫びを架電した。出発が遅れたのだ。「アイアンマン」をWowwowでやっていたのでラストまで見てしまったのだ。
 天神橋筋商店街、天満着が16時20分であったから道中約35分であった。
 師と両君と喫茶で麦酒をきめこむ。師が所用で退席されたそのすきに約7分間で、フリーランサとちっぽけで無名の表現舎のありうべき3つの指針として、正義・喜び・愛を揚げて清貧の意義を説き、協業者とはいかに友人であろうとも全てを約定に巻けるほどに話し合え、と言い放ち麦酒を2本と乾き物。
 おあと関係者と合流、はんじょう亭に乗り込んだ。最前列中央。特筆のみ書く。
 三金君は近時腕を上げている。彼の新作であったが、場面転換をくしゃみで繋ぐところはおかしく笑えた。今度機会あれば彼の古典の取り組みも勉強したく思う。
 三象師は、舞台用に眉毛を描いて出ていらっしゃるけったいさが、プロの噺家の表現しがたい「何か」を醸し出しておられて、越えられなかったルビコン河が途方もない川幅を持っていることに再度きづかされた次第だ。僕が河を越えられなかったチキン野郎であることには変わりないが、河の向こうは相変わらず一段も二段も神聖な世界であることを痛感した。
 他の職業笑芸者の名演は、私が語るべくもない、深遠なる狙いがあるのであろう。殊に対談コーナー等は意味を図りかね、自身の文脈理解の限界を感じたような次第である。その詳細の記述は本項の意図するところではない。
 三歩師の「甦り」は感慨深いものがあった。貴方の人生を垣間見ながら、貴方の落語を堪能した。泣いた。私は貴方の芸のファンを自認する。いい物を見せて頂いた。
 終わり天神橋筋にて打ち上げ。30人くらい。中でも朋友・どん太師と長らく飲んで語らうことがなかったので同席はうれしき機会である。私はどん太兄に集中砲火である。独り占めした。友有り而して遠方来である。嬉しくないはずがない。
 また終わりて後、私の転法輪車、略して自転車に跨がり帰路に着く。よき一夜となれり。