第1000回 豊能町ときわ台・東ときわ台合同夏祭り・盆踊り大会司会

愛情【あいじょう】(名)互いに和合して他の幸福安寧を希う情。めで慈しむ心。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用
 
 第千回である。「表現舎乱坊の陣中日誌兼戦闘詳報(以下「本日誌」という)」は、都合千回を迎えた。
 僕などは怠惰な性格をしてをるので、日記を千回も書いたことが人生で、ない。自分でも千回記念であることが信じられぬ。ミクシーからの移転の際に、大衆に公けとするに余りに破廉恥・低俗なるもの、あるいは精神世界を言語で表現しようとして失敗し不明瞭かつ難解に過ぎるものなど多数削除してきたことを鑑みれば、たとえ計算間違いが少々あったにしても千回は確実に超えているであろうと自認する。
 自分でも一覧を確認してをるが、万一、通番表示に重複・欠番等を発見された場合は善良読者のご好意として当方までご一報願う。薄謝で報いたい。まあ、薄謝といっても金銭に関わるものでなく、ご自宅にお邪魔してご家族水入らずの食卓に僕も同席してともに語らうとか、お寝間で眠りに就かれるまで耳元で囁き続けるといった類いのものであるから恐縮なさらないで頂きたい。そちらが損をする可能性の方が高い。
 近時、アクセスログから、本に新たにご来駕を賜っている方々の存在を知る。これらご新来かつ将来の熱心読者のために、再度、本日誌の意図と仕様をご説明しておく。この段は現在の熱心読者らにはご退屈な冗長繰り返しであろうが少々ご辛抱願う。
 本日誌をこう定義している。
   『「乱坊の薄き体系を書き殴る文集」と定義し「乱坊の脳髄の襞々や脳陰唇のビラに残りたる一抹の思い出、僅かな残像までを赤裸々に書き殴ることにより、余が脳幹から大脳表層の全体を書き写すべく努めよ」と怠惰な自身をキーボードに立ち向かわせるべく鼓舞し、その目的を後代において「21世紀初頭の一凡夫一市井が何に関心を示し、何を重んじ、如何なる煩悶を繰り広げたか、如何なる市民生活を送ったかを知る一級の一次史料」となることを希望しつつも、愛する三人の「娘らに遺す父の生きた証である。彼女らに全てを語り尽くさぬ内に逝く父の遺言であり、その中から彼女らが血脈の残骸を探しだす縁(よすが)」とするよう望んでいる。』(本日誌2010-01-03付「第900回 再序」および同2010-05-12付「第949回 夢見」)
   http://d.hatena.ne.jp/HyougensyaR/20100103
   http://d.hatena.ne.jp/HyougensyaR/20100512
 単なる出演の詳細、雑感記録ではなく、父が得た感動感激などを記し、生涯を以て何を経験したかを綴ることにより、娘ら三人に「なかなかこの世界も捨てたものじゃない」ということを書き送り届けるための愛情の顕れである(しかし出演記録の色彩は捨てがたい。実際、毎年呼んで下さる舞台はネタの重複の確認をここで行っているのが現状である)。一般読者には相当のご退屈を強要していると自負している。この場を借りてお詫びする。さーせん。
 僕は、携帯話者である。全ての文章は愚鈍なピッチの旧型機WS020SHでシコシコ入力している。よって文の係り結び、時制、用語統一などがバラバラであったり、入力に便なるために言葉を相当はつっている。また思想信条、信仰などのセンシティブな問題については、パブリックに公表するかかる日誌の性格上、自身の立場を極度に鮮明にせぬよう敢えて主語を不鮮明にし、恰も判じ物の如き筆致となる。文体も古く判読に不便なのは、語彙が脆弱で国語力がないのもあるが、意図して行っている部分もある。関係者しかわからぬやも知れぬ。これもこの場を借りてお詫びする。重ね重ね、さーせん。
 加えて、本日誌は「短文集成」である。今日からまた心を入れ直し、辞書からの用語の引用を行って参る所存である。ここのところ忘れていた。単なる記録と成り果てていた。ここも謝っておこう。衷心より、さーせん。
 
 土曜日。昨年に引き続き豊能町ときわ台・東ときわ台の夏祭り・盆踊り大会の通しの司会を頂く。表現舎の職務は全く多岐に渡る。
 スタッフでお世話されている方のご尽力には頭が下がる。失われつつある地域社会の一体感や連帯感を温存しようとする試みは各地に様々にある。当該地区の自治会がかつて一斉に開発された新興住宅地であるにもかかわらず(ということは街の新陳代謝がなくば一斉に高齢化するということを意味する)、各地のように、一体感や連帯感の希薄化に絶望せず、盛大な夏祭りを行い老若男女が挙って集い、ともに楽しむべく種々の企画で時空を共有しようと例年このイベントをしっかり行っておられる。
 地域社会を崩壊させてはならぬとは解っていても、その再興のためのシンボル的存在としての夏祭り、殊に盆踊りなどは、古臭い、若年層の流出と高齢化で踊る人が居ないなどとして過疎地域だけでなく、中核都市においてさえ廃止されてきた歴史がある。かといって廃止に見合う新たな提案もなく、地域の一体感・連帯感は寸断されていくのを放置して看過してきたように思う。
 自分が住まいしてきた様々な街々で夏祭り、盆踊りを眺めてきたが(好きだからね)、概ねは廃止、あっても市内などは政党や政治家主催の盆踊りなどで一般人は気色悪くて近づけない。自治会があれだけの夏祭りを主催し、例年マンネリ化せずココロを新たに継続しておられる様を見て、少年時代に見た賑わいを彷彿として心地よい。
 先ずはステージ。ちゃんと組まれた舞台で充分な音響である。幼児、お母さんによる親子体操、少女や妙齢の乙女たちによる激しいダンス、心踊る和太鼓など。全て地域の教室でお稽古しておられる皆さんの発表であるが、先生方と打ち合わせしていて、この舞台を大切なものとして位置づけておられるお心を聞くとこちらも褌の紐が自ずと締まる。
 特に私が楽しみにしているのは、昔の娘はんたち(他に書きようがない)によるフラダンスである。リハは普段着でお母ちゃんたちばっかりなのに、本番でハワイ着に身を包み、飾り、厚化粧を施した(僕が言ったんじゃない!自分たちで厚化粧といっておられるのだ!)彼女たちの舞いに、豊能の夕暮れにもかかわらず、「ここは南国か?」と見紛う空気である。よくお稽古されている。
 ステージ前の客席には沢山のお客様がお座りになっていたが、フラダンスの時間もみな良い雰囲気で鑑賞しておられた。フラダンスの踊り手の中に何人かお若いお姉さん達も居て、昔の娘はん方も良いが、これまた良い!何人にも恋に堕ちる。
 ステージが終わると盆踊り大会。昨年と異なるのは、浴衣姿の踊りの連の方に混じって小中学生や浴衣で着飾ってきた青年乙女らが率先して踊っていたことだ。あれはいい。うれしい。太皷のおっしょはんも頑張って為さった。
 盆踊りを一時中断してお楽しみ抽選会。盛大に盛り上がった。
 忘れ物や落とし物をどんどん本部席に届けて下さる方々が大勢いらっしゃったことも書いておこう。自宅の鍵、車の鍵、携帯電話、付け帯。届けて下さることが麗しい思い出となる。なかなか最近有り難いことである。そして迷子。名前は亡失したが、同じ子が二回迷子になっていた。もうここにずっと居たらどうか、と言ってたら、お母さんがカキ氷を持ってお向かいに来て下さった。お母さんと並んでいたらどっかへ行ってしまうんだろうな。うちの子なんか絶対迷子になる。自信がある。
 お後、最終まで盆踊りと振ったところで、スタッフの皆さんがビールを振舞って下さった。うまい。お弁当などは本年度最高価であった。
 
 ステージの幕間にお一人が側へ。「乱坊さんて、関大の高野さんじゃないですか」。ダンス乙女のお母さんだ。「うちの旦那が関大で、きっとあれはフランス語で一緒だった高野じゃないか」と言ってるらしい。会いに行くと顔に見覚えがある。卒業後、弁護士になったらしい。二〇年ぶりの再会に固く握手を交わし、弁護士・表現舎と住む世界は異なるが、頑張ろうと旧交を温める。苦労したそうだ。苦労人の目をしていた。深く温かい。いつも言うことであるが、石を放れば必ず関大卒に当たる。

 スタッフの皆さんにも可愛がって頂き最高の一夜であった。
 
 語るべき言葉と、皆さんのお心を開いて下さることに感謝します。いつも気として側に満ちて居られる事を感じます。