14日水曜日。池田栄町商店街、夏得イベント司会。ガラポン抽選会場。周辺で子供向けに紙芝居。
皆さん、抽選券を振りかざしてガラポンを回しに来られる。あんなもの確率の問題だ、などと斜に構えてやるもんじゃない。一定の法則が見える。見えてくるのだ。
当てよう、当てようと思って回すと、出玉はほぼ「白」、則ち末等、ハズレである。
沢山買い物をしちゃって抽選券を山盛り貰ってもた、時間がなくて早く帰らなくっちゃ、私はくじ運が悪くて当たるわけがない、などガラポンの回転がゾンザイで、当籤に無心な方は、約5割ほどの確率で色玉を出されるのを見た。
大慌てで8回回して4個色玉を出したご主人などは、自転車を景品満載にして「ワシ早よ帰らないかんねやー」と、これまた大慌てで帰って行った。
どうか皆さんもガラポンは無心で回して頂きたい。
日曜は、参議院議員選挙投票日であったが、前述の引札寄席と重なった。土曜の内に期日前投票に行ってある。
なかなか良い制度である。アテネのように、直接制の民会でないと意思表示ができない、なんてことにでもなったら社会は大混乱だろう。ましてやスパルタだと行かないとボコボコにされそうである。間接代議制でホンと良かったなあとニンマリしながら札を投じる。
たとえ夫婦間でも誰に入れたか言わぬのがしきたりだ。ここで表明するのは野暮である。
結果、政権政党の惨敗と聞く。去年8月のあの異様な熱狂は何だったのか。今は昔の感がある。
ガラポン抽選会をご案内していて思ったことがある。
現状の歪んだ二大政党制は、今後、物凄い勢いで収斂されるであろう。収斂のされかたに興味がある。
保革双方にバラバラに散在する真の意味での「保守派」と「革新的国体変更派」が、ちゃんとその意味する看板に従って見えやすいように再編、則ちガラポンされていくか。
或いは、議員個人個人が、政策や論点で政党の枠を超えて大同団結し、保守か変更かを自由に討論するようになるのか。
はたまた地域や地方のあるべきを国家と対峙して議論していく方向(一部にその萌芽が見えている。僕の親しい地方議員はその一員だ)が拡大していくのか。
所属する党執行部の見解を批判をしながら、自身の選挙を展開する等といういびつな、看板にいつわりある争点ぼかしを、有権者は好まなかった、ということだけは明白となった。
無党派層という言葉で一くくりに「スノッブ」という酷い扱いを受けていたサイレントマジョリティーは、国民として当たり前にその先行きを考え判断している。
この当然の原理に、新制度のもとで戦後60年掛かって漸く気づき、それに対応するべく出したマニュフェストなるものも、ここ一年で所詮「単なるチラシ」であったという程度に意味が劣悪化してしまった。支持団体ももはや爆発的な組織力をもはや温存していない。今後、有権者と議員を取り巻く環境は一層の混迷を迎えるであろう
将来のガラポンに備えた選択のために、議員一人一人がこれまで何を言ってきたか、今、何を言っているか、そこにどんな信念があるのか、単に耳障りのよい言葉を吐いているだけなのかなどを厳しく見極めて行く必要がある。