第986回 おたな引札寄席「まめだ」初演に関する記録

哀傷【あいしょう】(名)悲しみいたむこと。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 日曜日。おたな引札寄席。怪談特集。
 午前9時に引札屋入り。今回は妻と天寧の日程の関係から、まつ梨同行の浮目と相成った。朝、6時半から羊飼いの如くまつ梨にシャイシャイシャイシャイ言うて準備。7時半の電車で池田に向かう。8時50分着。着替え。お笑い練習を現役諸君と為して情宣へ街に出る。
 月曜の講演資料の準備に追われ寝ていない。阪大高丸同志に「今日テンション低いですね」などとけなされるのでモチベーションを揚げる。
 雨。今日は何だか池田の街の人通りが妙に少ない。そればかりでなく一番街はアーケードの電気すら付いてない。おかしい。薄気味悪い。
 同郷の松塚さんが御来駕。記録する。
 
 来舞兄、茂八君も揃い、午後1時開演。雨でお客様少々少な目か。60名。
 乱坊「まめだ(三田純市作)」。枕は思いつきの「池田市長から借りたイス50脚」。自分で笑う。キャスター付のイスを市役所からビニル紐で括って蛇みたいに運ぶ下りは、我ながらナカナカアホやなあと感心する。まめだはやっと言えた程度。今後の反復を決心する。いい話だ。稽古では何度か涙したが、舞台では言うのに必死で感情がイマイチ載ってない。
 しかし自身を哀傷している暇はない。ここは「おたな秘話」やら大喜利で数時間出ずっぱりである。
 阪大うなぎ君の皿屋敷。部分部分、大切なキーワードが早く流れたり、感情の流れが突拍子ないところがあるが、全体としてはお客様にちゃんとお伝えしようとひたむきに語る。彼との付き合いも長く人と成りを知る僕は、良き同板者として彼の精一杯語るをみた。彼は後の打ち上げで、まつ梨に本を読み聞かせ、子煩悩で優しき男としての片鱗を見せる。感謝する。
 大喜利。今回は左右の人数が合わないので、人生初の先生兼生徒というプレイングマネージャーとしての参加をした。実に面白かった。みんなも生き生きとお客様と楽しんだ。彼らに僕は何も教えて差し上げることはできぬが、お客様の前でいかなる自分であるべきかを共に模索したい。楽屋受けや、小さいコミュニティーや同世代間だけで受けるものではなく、同世代はもちろん自分の親や祖父母の世代の皆さんにも楽しく微笑んで頂ける、君たち世代に相応しい元気な表現をみると、教えられることは多いと痛感する。
 個人的にはヤマハ君のメロンパーンのパーンにアホさ満載で負けた。負けぬよう僕のパの「パンパカパーン」のファンファーレ部分は、往年のノック先生を髣髴とさせるものとした。血管が6本切れた(見た人しか解らんなあ)。
 来舞兄「だんじり狸(小佐田定雄作)」。見事に復刻された。茂八君の太鼓は素晴らしく感動をより深いものとした。司会として兄を紹介するに「学生時代は1年4年の神様であったけれども、いまや単なる友達」と下位年次の僕が言えるほどに親密な厚情を賜っている。様々に色んなものを共に見、聞き、感じてきた中で、この方は常に乱坊をして叱咤激励し続けて下さる。ありがたいことである。これらは毎日、近況ならぬ日況、時況を電話で交わす習慣に顕れている。便の硬さ、回数、長さ、互いの奥様のご機嫌までを細かく情報交換する間柄である。噺は楽屋で聞いていて完成度も深く高くいらっしゃった。勉強させて頂いた。
 
 今日は、この寄席とは別にもう一座。近隣の小石歯科で開催される手水寄席に「フリ遊び」で出演。これは西区の社福で行うパターンで、お客様皆さんに色んな仕草をして頂いたり、最後は二行小咄の大唱和で終わる。
 これをやるときいつも思う。みんなしたいのだ。声を出したいのだ。やってみたいのだ。うどんなんかみんなちゃんと食っている。ちゃんと舞台の方向いて「見て見て」と言わんばかりにやってくださる。二行小咄の唱和を全員が上下切って大声でやられる。壮観だ。
 舞台は片務作業ではない。噺をして、ご反応頂く双方向の双務作業である。それを明示的にお客様側から何かを発信して頂くことが最近面白く、噺の本筋ではないにしても、空間を共に楽しむ方法としてどこまでやらはるかを僕自身が楽しんでいる。いつも僕の期待を超えてお客様は自ら何かをされる。
 
 打ち上げは小石歯科で。茂八君と来舞兄は梅田にアダルトに消えた。乾杯し帰宅。
 本日の同僚諸君を掲げておく。来舞兄、茂八君、キューピー君、ヤマハ君、オーライ君、シール君、エビアン君、ベール君、いずこ君、つぼみ姉、うなぎ君、関学光君、高丸君、かぼす君、先生と先生夫人。