第982回 豊中寿楽園納涼お笑い大会 出演

あいし【哀史】(名)悲しい歴史。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 日曜日。円九君から朝9時半に阪急豊中駅に集合せよ、とのことだった。
 朝9時半だなんて尋常じゃない。僕らは遊芸である。朝のすがすがしい時間にするもんではない。
 9時半集合なんて、草刈りか、ドブ掃除の集合時間であって、ゴム長履いて、軍手はめて、タオルを首に巻いて行く時間じゃないか。少なくとも落語会の集合時間ではない。
 だいたいそんなに朝早く集まって何をするんだ。どうせ円九君の先走りで、本番はまあ昼飯ゆっくり食って午後1時半くらいからだろ。こんな早くから落語会するわけないじゃないか。円九君は何を慌てているんだ。彼も焼きが回ったか、と眠い目こすって集合。
 そして、僕らはあくびしながら午前10時に会場入り。
 
 ところが、その20分後、僕は、豊中市上野にある堀田会館大広間の舞台に着座して喋っていた。
 10時20分から1番手て、何ぼほど朝早いことか。落語する側が体イワス。聞く方も大丈夫かしら、と思うたが、皆さん朝5時くらいからフル稼働しておられる世代であるから、僕ら風に翻訳すると午後2時くらいの会か。
 
 当日を記録す。乱坊「蛇含草」、来舞兄「恐妻」、円九君「崇徳院」。楽しんで頂けた。
 
 お礼のほかにお寿司と缶ビールを拝領。それをもって演者3名、喜六会GHQの服部「キッチン智子」に急行。
 打ち上げ乾杯開始が正午12時。会が早すぎるからこんなことになっちまう。
 演者、女帝智子姉、麗しき娘御前ユリーペ嬢、そしてユリーペ嬢の幼な馴染みの関大野球部上がりの好青年と、家族水いらずの昼餐会。
 宴もたけなわのその時だった。
 
 「ピンポーン」
 
 玄関の呼鈴がなる。
 「こんな昼中に誰だ?」。全員が顔をこわばらせてギクッとする。
 今日の打ち上げではこれまでに、NHK、選挙の個別訪問、墓石屋、借金取りなど様々な不意の訪問で味わった数々の『哀史』を肴に話していたのであった。まさにタイムリーなピンポンだ。
 このピンポンは一体誰であろう。こんな時間に来る訪問者には出ない方がいいに決まってる。出ると宴げが台無しだ。
 そればかりではない、いらん金が出ていくやも知れぬ。ゴテられて大騒ぎになってしまうかも知れない。そんなのはゴメンだ。
 おここはシカトだ。無視しよう。
 見ると、先ほどまでワイワイ騒いでいた面々が皆一斉にちゃぶ台の下に潜り込んでいる。それぞれに逃げなければならない何かがあるのだろう。
 来舞兄が机の下でブルブル震えている。机の上のゴマ豆腐がその振動に合わせてプルプル揺れているのがちらりと見えた。全く、生きていくというのは大変なことである。
 ピンポンは執拗に続いた。これは本気だ。解る。絶対に今日、話を納めて帰るぞという意気込みすら感じられるピンポンの連打だ。
 玄関扉がガチャガチャいいだした。ああ、もう終わりだ。カギをかけてないじゃないか。
 詰んだ。巻き上げだ。召し上げだ。型にはめられ、コテンパンにやられてしまうのか!
 
 ガチャ。扉が開いた。ちゃぶ台の下で円九君の頬を一条の汗がつたい、来舞兄は緊張のあまり、短く湿っぽい屁を放った。
 
 しかし、だ。しかし、である。なんとそのピンポンは、誰あろう、ここのご亭主、笑鬼会長とやん愚兄であったのだ。
 ああ、あなた方も賛助だったのですね。すっかり忘れていました。ここは笑鬼会長あなたのおウチでしたね。ご自宅に帰ってきたんですね。そうでしたね。
 僕らは、恐る恐る隠れていた机の下から這い出すと、ホッと安心し、再び大いに乾杯したのであった。
 
 この後にアポイントもう一件。振り切るようにして、涙をのんで宴げを後にする。