第984回 関大愛

あいじつ【愛日】(名)1、《左氏伝註に「冬日可愛」とあり》冬の日。2、時日の空しく過ぐるを惜しむこと。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 月曜日。西区明治地区いきいき教室。「今日から使える−」。お忘れ物、蛇含草。
 のれたりのれなかったり、うまいこと行ったりうまいこと行かなんだり色々あるが、時間配分を間違えたのは初めてだ。最近、30分の短尺をよく受けていたからか。全編を喋り終えて時計を見ると、前後半合わせて65分しか話してない。
 あ、こりゃいかんわ。ここは80分喋らないかんねやった。
 係りの人に舞台の上から「もう一本やりますー」といって、5分別件喋って2本目を連続で。抜かずの2本である。
 時間配分間違えたのも初めてだが、2本連続で喋るのも初めてだった。
 
 終演後、皆さんのお茶に混じって談笑。ネットワークの地域の会長さんと同席。行政職をご退官されて地域のボランティアの取りまとめにご尽力されている方だ。
 話していくと、「実は、ワシ、関大やねん。」
 まただ。また出た。
 僕らは関大の人を目指して仕事をしに行くんじゃない。どこに関大がいるか知らない。
 二人で話した。関大の卒業生だから物を買ってくれ、と来られると引くよね、と。
 石を投げると偶然当たった人が関大卒という感じが良い。関大卒を狙って石を投げつけるのとは随分と意味が違う。それも互いに何事か案件をやり遂げ問題が解決した時、その相手方が笑顔で「実は、ワシ、関大やねん」と、こう来るのが良い。
 真面目さといちびりが丁度いい位に庶民の中でバランスが取れている方が多い。真面目な方でも千里山天六の白亜の殿堂であの空気を吸うたらマイルドになるのだろう。僕らは崩れた口だが。
 話していくと、関大のクラブ「法律相談所」のOBの方であることがわかった。
 思い出がある。今から考えると失笑の種だが、僕は実は「落語大学」に入部するか、「法律相談所」に入部するか迷った過去がある。一度、法相の部室にもお邪魔した。
 結局、アホさ加減と、新入生歓迎公演で見た先輩の芸に惚れ憧れて落語大学に入部することになるのだが、あの頃が「法律を勉強しに関大へ来た」か、「落語しに関大へ来たか」の分水嶺であったのだろう。その結論が、後に落大の新歓のボックスに自分から赴き「落語しに関大へ来ました」と発した要因となっている(この発言は来舞兄は明確に憶えていて下さっていて、よき思い出の一つである)。

 法律相談所は僕らの部室と別棟同階だが渡り廊下でつながっていた。法相前の屋内廊下は若干幅広くなっており、僕らが雨天に「マンツーマン練習」と称したお稽古をするに適していた。
 法律相談所の扉には「熱なき者は去れ!」と大きく書いてあったのをしかと憶えている。僕は後にその言葉が気に入り、様々なときにこの語を借りて話したものだ。
 ネットワークの会長さんが「ワシ、法律相談所やねん」とおっしゃった時、間髪入れず「熱なき者は去れ!ですね」と挟むことができたのは、瞬間に愛日の彼方に霞んでいたあの扉が急に眼前に見えたからだ。意図せずとも語るべき言葉は与えられるのである。
 聞くと、先輩は法相の創設メンバーで、クラブの部是に「熱なき者は去れ!」を提案した方だと言う。この世代を隔てた瞬間のやり取りに、二人固い握手を交わし、初見にもかかわらず、百年の知己の如く接して頂いたことは、ありがたくもあり、忘れ得ぬものとなろう。