第975回 月ヶ瀬社会福祉センター講演

あいこく【愛国】(名)自国を愛すること。自国を大切に思うこと。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。

 
 水曜日。朝8時に天王寺から月ヶ瀬に向かう。9時半に月ヶ瀬口駅にて所長のお出迎えを受けセンターへ。閉じこもり予防事業の奈良版である。奈良市社会福祉協議会は初上陸である。
 お客様数凡そ50。雨。足元のお悪い中よくぞご参集賜ったと手を合わす。楽屋で御力のご貸与とお客様お心開きのご助力を祈り、出る。
 90分を70分のお話と、20分の噺で走る。口に入れる、口から発するを中心に、日頃思うつれづれを話す。パワーポイントは高齢者向きに数150に減少。とはいえ似非高橋メソッドだからスライド総文字数は原稿用紙で30枚程度か。
 論旨は階層構造を明確にして現在の立ち位置を主客双方が確認できるよう心掛けた。いま少し工夫が必要である。
 概ねいきいき教室で話す講話の2主題をシームレスに結合させたものだ。いつものA3紙芝居で話してもいいのだが、講演のご発注なのでパワーポイントでお楽しみ頂いた。
 終演。午前の会は感が狂う。独り打ち上げしたい。しかし昼12時の電車で呑むのもいささか気が引け辛抱する。
 天王寺でうどん一杯。今日のうどん嬢は新入りかして、カキアゲ天うどんにも係らず、お出汁が実に少なく、うどん高にギリギリでてんぷらが汁に浸かっていない。
 「お願いですから、あと1センチだけ汁を入れて下さい」とお願いする。僕も310円のうどんでそんなに必死にならなくていいんだけれど、出来ることならお願いさせないで欲しい。
 あと1センチ入れば、うどんも、カキアゲ天も、それを食らう僕も、そしてうどん嬢、あなたも皆幸せになれるのだ。全ての衆生平安楽寧を願う愛国烈士のわが悶絶は続く。
 帰宅3時。まつ梨を公文に送り出し、僕は堺アルパに。平生の感謝と、親愛なる兄弟姉妹の顔を見に自転車を転がす。
 初めて行ったときは恐ろしく遠い地の果てへの旅かと思われた。今回の旅程は一度通った道。往復30キロばかりの道もさしたる苦もなくこぎ終えた。
 僕は割と貧乏臭い性分がある。会議でも晩餐でも、会話に少しの空白があると、思わず声を発して空白を埋めに行く癖がある。空白を放送事故のように怖がるのだ。誰かが喋り出すと、声を透かすか黙る。大喜利の先生を長くやり過ぎたせいだろうか(マルクよ、シゲよ。そのくせ噺は不必要な間が多い、とか言うな)。前回はここで喋り過ぎた嫌いがあったので、今回はバランスを取って聞きに回る。そこで平地の会話にも空白でビシッと感情が入っていれば、それは死に間でないと感じる。
 殊に会の終焉時、わが卓のコーディネーター嬢が僕に示してくれた心温まる配慮に感無量、感激を覚える。彼女をしてああ言わしめ給うたことに感謝し奉る。読者にはこの段、意味不明かと存ずるが、この最後の一段落は、今日の僕の感激と、彼女を通じて示された奇跡を忘れぬよう、ただ自分のためだけに記録しおく。