第969回 池田おたな引き札寄席 出演

あいくるし【愛】(形・二)かはゆらし。あいきょうこぼるるばかりなり。−げ【愛気】(名)あいくるしきようす。−さ【愛】(名)あいくるしきこと。又、その度合い。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 朝九時に池田に降り立つ。小雨。客足を心配する。
 情宣もアーケードのあるところを選ってビラまき。
 謹んで当日の演者演順を申し述べる。

  銀杏亭頂丸(トップガン)君「道具屋」
  おたな秘話1
  関大亭学乱師「看板の一」
  銀杏亭高丸君「片棒」
  おたな秘話2
  中喜利
  中入り
  猪名川亭風鈴師「月に群雲」
  おたな秘話3
  こしあん嬢「餅屋問答」
  乱坊「お忘れ物承り所」

 1時開演で終演予定4時半。おたな秘話を入れると都合9題の長丁場である。
 まあ、お目当ての演者を目指して、お客様入れ替えがあるだろうけれど、これを生き抜いたお客様にただ在り来りな枕を振って入るわけには行かぬ。今日の日を記念する思い出深きお話をしなければならない、と情宣で歩きながら、また秘話などに出演しながら、今日のタクラミごとを考える。これしかないとある企てを決するに至る。
 同板の同僚らの奮闘を記す。
 トップガン君は阪大二年生の本日最若手の演者ながら、下板においては礼儀正しく、明朗にしてその人となりや良し、愛される人柄に、道具屋は荒削りであったけれども、客席を味方にして精一杯語ってくれた。語尾まできっちりと感情を入れる習慣をつければ明晰な彼の舞台はきっとよくなるであろう。
 学乱師の「乱」は我が乱坊の「乱」である。一字借用の恩義、1年8年の間柄で関大亭の祖先であって、現役時代に交誼を頂いた思い出がある。しかしながら師の舞台は未だ見たことがなかった。名人上手サルベージャーとして彼を近年サルベージしたのは誰あろう、私・乱坊の功績であると、これは天下に対して自負するところであるが、同じ舞台でその名演を袖から拝見するのは感無量である。ご本人はペースが少し遅かったと自己評されていた。僕は、しっかりと人物を作り、感情を間に即して投入する関大亭の芸風の香りを吸収するべく、初見の師の芸に酔い、憧れつつ全編を堪能した。令夫人さやか師(落大卒)も右端列20度の位置で学乱師の舞台を怖い顔して見ておられたが、この方は僕の番まで腕組みしたまま、時折深いため息をつき、全体練習を思わせる恐妻振り、厳しい先輩振りを発揮され、背筋の凍るような好感を持った。
 なお、学乱師の応援にナイト師に加え、な、な、なんと、あの「マムシ師」の池田ご来駕を受く。春が来たんだなあと思う。
 高丸君とは沢山の時間を共にしてきたので、彼の舞台はよくみるが、緻密に作り、繊細な感情描写を旨とする彼の噺は、大変勉強になり、近年の腕の上げている様子が見て取れる。隠密裏に彼の御母者人様が御来駕下さっていることも御尊顔を拝して気づいた。打ち上げの酒、気の使い様共に交流するに気持ち良き男である。片棒に客席大いに沸く。
 中義利はいつものやりくりと6文字作文。学乱師を除く学生演者に加え、声だけ福山正治に似た愛くるしいコマンタレブー君(110キロ超級)、牛乳屋の倅うなぎ君、いつも二日酔いで朝トチリの呑み海君らを交えて。お客様と楽しんだ。
 続いて中入りを経て風鈴師による「月に群雲」。風鈴師は我らとは別山、落語ミュージアムの落語研修の卒業生であって、我らは今回初めて真の意味での他山を迎え入れる経験をした。落研上がりではなく3年前に社会人から落語を始められたと聞いた。僕より先輩で、上品かつ明朗、ウイットに富んだお人柄。ご自分で3年生とご謙遜しておられたが、何の何の、堂々とお時間ご担当頂いた。プロの方のご指導だけあって、細部に渡りご検討をされてきたお積み重ねは同好の士として感じ入るところあり。僕もこれに先立つ数週間前に「月に群雲」の音源を得て、三喬師の発するおかしみを予習していただけに名演を舞台袖で楽しませて頂いた。先月、笑鬼師の代演ということで師のご指名による急遽のご出演となったが、その中トリの重責を見事果たして頂いた。
 こしあん君は賢く、朗らかな長野の産の良嬢である。僕は彼女も同席することが多いのだが、彼女を見ていると我が愚娘達よ、かく育て、と願う一人である(ま、ウチは阪大には行けないだろうけどな)。枕も彼女を表す家庭生活の様々を明かす。餅屋もネタ帳に忠実に進む。僕は、学生はお客様の顔色やお疲れを見て軽重を自在に取捨選択することなく、用意してきたものを寸法のままに出せばよい、と信じているので(そんなことをやるのは社会人がやればいいし、主催側が学生諸君を役にはまるよう番組すればよいと思ってる)、彼女が舞台で受け持った担当時間は、我が前任者として相応しく、若々しく、元気に精一杯勤めてくれたと清清しく思う。
 ただ、ただである。これまでを振り返れば、やはり全席9題(秘話含め)になるなんとする無茶な番組にして、予想に反し、「お客様が入れ替わらない」!トリまでお帰りにならず延々見ておられるのだ。リピートの皆さんが礼を尽くして私までご臨席頂いたのだ。社会人として乱坊は如何にあるべきか。お客様に如何なるお礼をすればよく、お持ち帰りいただく最高のサービスとは何か!
 仕方ない。なりふり構っている場合じゃない。私は計画していた通り、おもむろに先日の衝突で作成した仮の部分差し歯を外し滑稽な歯抜けの顔を舞台に晒し(でないと仮歯の調整がうまく行ってないので空気が抜ける)、その顛末を話し、恐妻の家庭事情を全告白して後段のお忘れ物に連結しようと試みた。「タカノしゃーん」のご唱和と共に始まる30分、楽しく皆さんとお時間を過ごせたのは、お客様ご自身がお心を開き寄席を楽しもうとなさる、時間と空間の共有を求める皆さん自身のお力が、演者をして一生懸命のお喋りをさせるのだと、最近感じ始めている。実に我々はお取り次ぎをしているに過ぎないのである。