第965回 「全日本社会人落語選手権第16回大阪本選」観戦記

あいきょう【愛敬】(名)かはゆらしきこと。人ずきのすること。(愛嬌)。−あばた【愛敬痘痕】(名)却って愛敬あるように見ゆる痘痕。−げ【愛敬毛】(名)顔に愛敬をそふる後れ毛。−しょうばい【愛敬商売】(名)愛敬を専一として客を呼ぶ商売。客商売。(以下略)。− 金澤庄三郎編『廣辭林新訂版』三省堂発行(昭和12年1月25日新訂第360版)より引用。
 
 携帯入力ゆえに舌足らずとなることは先ず以てお詫びしておく。はじめに番組を掲げて置く。
 
午後1時開演、於大阪千日前トリイホール。以下敬称を略す。
池田屋騒動 若鯱亭夢輔
蔵丁稚 立の家猿之助
天狗刺し 千里家圓九
老婆の休日 弥勒亭福福
看板の一 錦松楼 さだ吉
お仲入り
元犬 槍田家志ょ朝
憧れの甲子園 河内家るぱん
粗忽の釘 鹿鳴家吉遊
肝つぶし 潮吹亭くじら
堀川 柱祭蝶

前年度優勝者
愛宕山 竜宮亭無眠

 本年、社会人落語のお仲間に入れて頂いたこの団体の初年兵として寄席の当日は如何に在るべきか。答えは、そう、椅子並べである。椅子を並べるのだ。これしかあるまい。
 午前十時、椅子並べ用の「ココロの」軍手をはめて意気揚揚と会場入りしたにも関わらず、椅子は既に並んでいた。仕方ない。パンフレットはさみ等を楽しむ。当たり目さんは面白い。細かな間隙を就いてくすぐりを入れてくる。後、笑鬼さんと一緒に飯に行っていろんな話を聞かせて貰う。ってなことで、あまりお手伝いせぬ間に開演。
 みんな極まった完成度の高いものをお出しになる。その殆どは二階の調整室横の屋内ベランダからお客様と演者の双方を見下ろす形で全て見た。
 いずれも名演で僕如きが論評する立場にない。紙面制約上の関係から特に感じ入った所と、近親の方々の所感を記録することをお許し願いたい。
 「池田屋騒動」の若鯱亭夢輔さんは、淀み無き美しい口調に舌を巻いた。素晴らしい。私服も着物もお洒落で美しく、立ち居振る舞い、舞台前のご調整など少なくとも「落語大学」の類型にはまらない凛とした所作は、見ていてホレボレするものがあった。しかし打ち上げのお酔い方は豪快極まりなくこちらも男児の意気を感じ入る点あり。
 「蔵丁稚」の立の家猿之助君は既にマイミクにしてこれまでも親しくお付き合い頂く達者な話芸者である。質屋蔵という長編をまとめて尺にはめ、きっちりと自身を表現された。今回の大会までの心の動きなど詳細にお打ち明け頂く機会も得たが、皆、後頭部の毛を逆立てて板に臨むの感あり。モチベーションを上げながら進むことの難しさを痛感する。
 「天狗刺し」の千里家圓九君は、年若き我が先達で、近年、益々腕を上げ、既に凡夫拙の遠く及ばぬ所へ昇華している。天賦の口調の美しさは近親に斯くもの才能をお与え下さった創造者への感謝を禁じ得ぬ。また彼の不断の努力は彼自身の人となりや愛敬を部分から全体ににじみ出させ、もはや後進かつ高齢の拙は批評するに能わざる。度々僕が彼の賛助の伴を致すことがあるが、先週の同行は僕の見たる彼最高の舞台であったと記憶している。
 槍田家志ょ朝さんによる「元犬」は、犬好きには堪らないよい噺である。「鴻池」の兄弟や「天王寺詣り」のクロよりも増して愛すべきシロと、彼を取り巻く心優しき登場人物のドタバタに、懐かしき我が忠犬イソ号への思い出をのせて鑑賞。見ながら涙が出た。
 「憧れの甲子園」の河内家るぱんさんは、難しい噺を完全に手中に納めて舞台に放たれた。人物豪快にして、そのニンが噺全体に行き渡っており、見習うべき点甚だ多し。
 「堀川」の柱祭蝶さんは、池田か高津かで舞台を拝見させて頂いたことがあるが、本年度最終演者ということで十人目の演者。待ち続けた演者もさることながら、お客様も「すねかじり寄席」二本を連続でみるという荒業を成し遂げておられることになる。そこへ気を入れ全張りに近い波動を込めて光線を射出し続ける彼の力演を見た。 
 他、弥勒亭福福さん、錦松楼さだ吉さん、鹿鳴家吉遊さん、潮吹亭くじらさんなど初面の皆様によるしっかりとお積み重ねしてこられた名演があったことも忘れない。
 そして昨年度優勝の「愛宕山」の竜宮亭無眠さん。あの長編を見事20分尺内に納め切る構成。この方は池田の選手権で同板に乗った経験があるが、何れの舞台も空間をグリップする握力、にじみ出るお人柄はさすがこの大会を連覇する猛者であった。
 結果は、マルク君による杯奪還となった。楽屋でその報を聞き、同門として傍におわした笑鬼師と祝す。打ち上げでは、はつらつ亭ひばり師から現在僕が直面する子育てについて様々なご助言を賜り、栄歌師からも心温まるお言葉数々頂いたことも記録しておく。
 終わりに臨み、来年の会には出場できるように日々精進してまいる所存でありますから、各位のご指導を衷心より渇望するところである。